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12月13日(2007年) これが本物の挑戦

 2007年12月13日(木)、浦和レッズは横浜国際競技場でイタリアのACミランと、FIFAクラブワールドカップ(FCWC)準決勝を行い、0-1で敗れた。

 2006年のJリーグで優勝して2007年のACLへ(実際には2005年の天皇杯で出場権を獲得していたが)。2007年のACLで優勝して、その年に行われるFCWCへ。
 順調に上部大会へ勝ち進み、FCWCでも10日の準々決勝を勝ち上がり準決勝まで来た。

 過去、何度もヨーロッパ、南米の名だたる強豪と対戦したことはあるが、いずれも親善試合だ。まだACL出場経験がなかったそのころ「マンUとの親善試合より、ACLでアジアのチームと真剣勝負がしたい」と、さいしんコラムに書いてクラブスタッフの機嫌を損ねたことがある。何か言われたら正面から反論しようと思っていたのに、何も言ってこなかったのでちょっと拍子抜けだったが。

 でも、それが正直な気持ちだった。マンチェスター・ユナイテッドとは何回も対戦し、マンチェスター・シティ、フラメンゴ、オリンピア、アヤックス、フェイエノールト、FCバルセロナ、インテル、バイエルン・ミュンヘン…。勝った試合もあるが、その結果得たものはそれほど多くない。負けた試合でもリーグ戦で負けたときよりは落ち込まなかった。

 このミラン戦は、正真正銘の真剣勝負。それも世界の頂点を決める決勝への出場権が懸かっていた。マンUとの10回の親善試合より、この1試合こそ望んでいたものだった。
 ただ、そうではなさそうな人たちがスタジアムにはいっぱいいた。FCWCの準決勝を見に来たのではなく、ACミランを見に来たサッカーファンたち。根っからミランのファンというわけでもないのだろう。いつ仕入れたのか、真新しいミランのマフラーやユニフォームを身につけていた。少し前までのトヨタカップと同じ感覚なのか。

 スタジアムの雰囲気は、これまで味わったことがなかった。寒い12月、6万7千人が入ったスタンドの一角だけから熱気が漂っているようだった。他のエリアには、ヨーロッパの人気チームを生で見ることができて幸せそうな人たち。
 ACLで行った韓国の全州ワールドカップスタジアムや城南市炭川総合運動場、イランのフーラド・シャハールスタジアムの方が、はるかにピリピリした戦う雰囲気だった。

スタジアムでここだけが熱かった

 レッズが勝つことで、少なくとも点を取ることで、この雰囲気を変えたかった。
 だが、その願いは叶わなかった。勝てもできず、点も取れなかった。取れるチャンスもほとんどなかった。ミランがどこまで本気になっていたかはわからないが、もし「早い時間に点を取ってちゃちゃっと終わらそう」と選手たちが考えていたなら、それは楽天的すぎた。
 レッズは得点チャンスを作れなかった分、守りに集中していた。ミランは何度もレッズゴールを襲ったが成功するには後半まで待たなければならなかった。67分、左サイドから攻め入ってきたカカに守備陣は気を取られすぎたのかもしれない。ボールを中へ送られ、セードルフに決められた。

 レッズが初めて世界に挑戦した試合。決勝への扉を開くことはできなかった。負けて納得も満足もできるはずはないが、それまで何度も見た親善試合とは緊張感も高揚感も、そして悔しさもまるで違っていた。

 挑戦。そう、これが本当の挑戦だった。
 ことわっておくが、ACミランへの挑戦ではない。ミランとは「対戦」だった。レッズが挑戦したのはあくまで世界一の座だ。
 翌年から日本でACLの注目度が格段に上がったのは、この挑戦からだと思っている。

 さて、みなさんは2007年12月13日、何をして何を感じていましたか?

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