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4月27日(1996年) 普通じゃないだろ、船で横浜へ

 1996年4月27日(土)、浦和レッズはアウェイ三ツ沢球技場で、横浜フリューゲルスとJリーグ第10節を行い、4-1で勝利した。開幕5連勝で始まったシーズンだが、その後連敗もし、少しかげりが見えたとき、この快勝は気分が良かった。そして、この試合に際してレッドダイヤモンズ後援会が奇想天外なアウェイツアーを行った。

 レッドダイヤモンズ後援会は現在「一般社団法人 浦和レッズ後援会」と名称を替えているので、ここでは後援会とだけ記すことにする。
 また、この話は僕のYouTube「清尾淳のレッズ話 #062」でも詳しく語っているので、可能な人はそれも参照して欲しい。

アイデアがいっぱい、後援会の会議

 僕は、1990年に活動を始めた「浦和プロサッカー球団を作ろう会」に関わっていた関係で、しばらく後援会の運営委員会をしていた。浦和レッズが「オリジナル10」の一員としてJリーグ元年から立ち上がることが決まったので、「作ろう会」はその役割を終え、発展的に解散した。プロチームを呼んでおいてあとはご勝手に、というのは無責任だから、しっかりレッズが浦和に定着し、優勝するように面倒を見なくてはいけないだろう、ということで後援会を作ろうということになった。

 レッズ後援会の成り立ちはなかなか面白いと思う。いつか詳しく綴ってみたい。
 活動の目玉の一つがこのアウェイ応援ツアーだ。基本は飛行機とか新幹線の団体扱いで交通費や宿泊代を安くあげる、というものだったが、これを企画する運営委員会というのがクセモノで、月に1回程度集まっているのだが、アイデアがいっぱい出て話が弾み、普通の時間に終わらない。会館などを借りると、21時までか遅くとも21時半には完全退出しなくてはならないが、それでは議題が残ってしまうので、たとえば運営委員のメンバーの会社の会議室を使わせてもらい、終電がなくなる前には終わる、ということが少なくなかった。
 断じて言うが、無駄話はしていない。ただ後援会も立ち上がったばかりで、いろいろ決めることや事務作業などもあり、やることが山積みだったのだ。

参加希望者が定員の2倍も

 この4月27日の横浜F戦は、後援会もできて4年目だから、たしか運営委員会も正常な時間内に開催されるようになっていたはずだ。だが、話の中身が「正常」かどうかは別だ。
 横浜の試合に行くのに、船で荒川を下り、東京湾を横断して横浜港に着き、そこからバスで三ツ沢まで行くという行程のどこが「正常」だろうか。しかも代金は電車賃の5倍ほどもかかる。決して後援会が暴利をむさぼっているわけではない。
 だが、定員200人で企画したツアーに対する参加希望者は400人近かった。どういうことだ? 運営委員会では、企画する方も企画する方なら、参加する方も参加する方で、普通じゃないなという話も出た。船の定員はオーバーできないから、抽選で200人に絞らせてもらった。

観光バスではありません。船内です

貴重な4ゴールを見た横浜F戦

バジールや岡野のゴールで4-1

 当日は天候も良く、風も強くなかったのが助かった。悪天候では船は出ないから中止にせざるをえない。その場合はバスで三ツ沢まで直行することになっていたと思う。三ツ沢球技場は横浜駅から30分近く歩くので、それはそれで便利なのではないか。
 試合は、楽しかったと思う。広瀬治のFK直接ゴールを見ることができた。そしてバジール・ボリと岩瀬健のレッズ加入初ゴール。岩瀬のゴールはバーに当たって真下に落ちて入った。さらに岡野雅行のシーズン初ゴール。4点とも貴重なものを見た感じだった。

スタジアムでの籍はそれぞれ。この中にも船で来た人がいたと思う

地元活動に力を入れる後援会

 後援会はレッズより1歳若く、今年が誕生30年目。今はあまり派手ではないがアウェイツアーもあるし、ホームゲームのスチュワードなどなくてはならない活動をずっと続けている。
 さらにレッズと地元を結びつける活動にも力を入れている。ちょっと聞くとおかしく感じるかもしれないが、今のレッズはそこを意識しないといけない状況にあるのだ。

 一般社団法人になったことで、少し突っ込んだ活動もできるようになったはずだ。コロナ禍がもう少し収まれば、もっと大々的に告知して大人数でのイベントも行われるだろう。後援会ではいつもと違うレッズの楽しみ方があるはずだ。
 浦和レッズ30年の歴史に、なくてはならない相棒だと言える。

MDPから

また面白くなったら困るなあ

 実は僕もまだ「浦和レッズ後援会運営員会アドバイザー」という役を仰せつかっているのだが、義務はないので運営委員会にも出席していない。忙しいということもあるが、実はもし昔のように面白くなってしまったらどうしよう、というのも、出席を躊躇している理由の一つだ。

 それほど草創期のあの楽しい白熱した会議が記憶に焼き付いている。

さて、みなさんは1996年4月27日、何をして何を感じていましたか?

※この内容はYouTube「清尾淳のレッズ話」でも発信しています。映像はありませんが、“ながら聞き”には最適です。
【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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