見出し画像

11月9日(1996年) 最終節でJ初の記録

 1996年11月9日(土)、浦和レッズは駒場スタジアムに横浜フリューゲルスを迎えて、Jリーグ第30節(最終節)を行い、3-0で勝利した。

 このシーズンはJリーグが16チーム体制になり、2ステージ制だと年間60試合になるのでさすがにそれはなく、リーグ戦は通年制でホーム&アウェイ2試合を行うだけ、つまり世界標準の形になった。
 それまで36試合、44試合、52試合と増えてきたところへ急に30試合とは物足りなくなるかと思ったが、水曜日の試合が減り、落ち着いた感じだったのではなかったか。少ないとは感じなかったように記憶している。

 レッズは前節までで6位以下が確定。最終節で負ければ7位に後退する可能性もあった。
 相手の横浜Fは、前々節まで優勝争いをしていたが、前節で敗れて首位に勝ち点3差の2位となっていた。数字上は優勝の可能性も残っていたが、15以上の得失点差をひっくり返さなければならず現実的ではなかった。
 そのためか横浜Fには「終戦ムード」が強く、レッズは前半2点を先行。後半も優勢に試合を進めて、岡野雅行がエリア内で倒されPKを獲得した。通常ならPKキッカーはウーベ・バインか広瀬治が務めたと思われるが、ボールを持ってPKスポットに立ったのは、GKの田北雄気だった。

前半33分、岡野がヘディングで2点目を決める

 田北はこの年、リーグ戦30試合とナビスコカップ14試合のすべてに先発。それに報いるためか、広瀬が田北に「蹴れば?」と勧めた。2点のリードもあり、相手のモチベーションのなさを感じて、もし決まらなくても勝利は動かないだろうし、ホームのサポーターへのサービスという意識もあったのかもしれない。ただ、相手にとっては屈辱だっただろう。
 特に緊張した様子もなく、普通にボールをセットし、右足でゴール左へ決めた田北は仲間の方へ振り返るとガッツポーズ。満場の歓声を受けた。しかし内心は、万一GK(楢崎正剛)にキャッチされたら、ダッシュで自陣へ戻る気持ちの準備をしていたらしい。

 このゴールは、Jリーグ初のGKによる得点として記録に残るものとなった。
 ちなみに田北は、このあと天皇杯4試合でも先発し、1999シーズンの公式戦48試合でゴールを守り抜いた。

シーズン最終節には19,357人が来場。駒場はパンパン

 さて、みなさんは1996年11月9日、何をして何を感じていましたか?

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?