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9月29日(2001年) 東京に2連敗、いやそれより深刻そう

 タイムマシンという言葉がよく出てくる。そう、僕はタイムマシン信奉者だ。存在を信じているということではなく、あったらいいなあ、という希望を願望にまで高めているだけの妄想野郎なのだ。

 で、もしタイムマシンがあったら、2001年9月29日20時20分頃の味の素スタジアムへ行き、ピッチのそばで悔しそうにしている自分にこうささやく。
「大丈夫。2004年の1stステージには初勝利を挙げるし、2005年からはずっと負けなしになる。それまでの我慢だ」

 それを聞いた、まだ髪の毛のある僕は、その言葉を支えに頑張り続ける……ことはない。

「2004年? 来年も再来年も、こんな奴らに負け続けるってえの? 長えなあ…」

 そう思うに違いない。

 2001年9月29日、浦和レッズは味の素スタジアムに乗り込んで、FC東京とJ1リーグ2ndステージ第7節を行い、2-3で敗れた。5か月半前、駒場での初対戦で逆転負けを喫し、そのリベンジの意気込みが強かっただけに、悔しさが何倍にもなった。

 FC東京、というよりもFC東京サポーターが、4月の駒場で「ゲットゴール福田」コールを発し、徹底的に嫌いになった。
 試合中に、観客から笑いを取るようなコールをして緊張感を削いでいたから、「選手よりも自分らが主役になりたいサポーターなんだな」と定義づけて、レッズの応援とは次元が違うので競うレベルのものではないと思っていたのだが、負けた相手を揶揄するのによりによってレッズサポーターが一番大事にしているチャントを使ってきたことが決定的に許せなかった。そうじゃなかったですか、みなさん。

 選手たちの思いは違ったと思うが、リベンジしたい気持ちは同じだっただろう。この年、2ndステージに入って起用されるようになった2年目の鈴木啓太が、13分にCKのこぼれをミドルでたたき込み、Jリーグ初ゴールを挙げた。たぶん、この素晴らしいミドルシュートがサポーターの中に刷り込まれ、その後啓太がミドルを打つたびに期待するようになったに違いない。
 その後、逆転されるが前半終了間際にエメルソンが同点ゴールを挙げ2-2。しかし後半勝ち越されてしまい、そのまま試合を終えた。

先制ゴールの啓太を取り囲む仲間たち

 1stステージは7勝1分け7敗だったが、小野伸二がオランダに移籍した後の2ndステージはこれで1勝6敗。年間順位が12位まで下がり、東京に負けた悔しさより、別の心配をしなくてはならなくなった。

 タイムマシンがあったら、冒頭の慰めにもならないささやきをするより、もっと行くべきところと、やるべきことがあるだろう。
 4月14日の駒場に行って、アドリアーノに「看板越えたらイエローだからな」と言うか。まあ、それもいいけど…

さて、みなさんは2001年9月29日、何をして何を感じていましたか?

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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