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4月14日(2001年)“東京サポ出島軟禁事件”の見方 by 僕

2001年4月14日(土)、浦和レッズは駒場スタジアムにFC東京を迎えてJリーグ1stステージ第5節を行い、1-3で敗れた。レッズが前半44分に先制したが、そのゴールを挙げたレッズの新ブラジル人選手アドリアーノが喜んで看板を越えてしまい、この日2回目の警告で退場になるというエピソードで知られているが、もう一つ。試合後、FC東京サポーターがビジタースタンドからしばらく出られなかったという、“事件”が起きた試合でもあった。

 今回は題材が3つあるから長文です。

初めて聞いたFC東京の応援

試合の内容は、前段でも言ったように、先制したレッズが後半は10人で戦うことになり、力尽きて3点を失い、逆転負けした。
 レッズと東京はこれが初対戦だった。
 だからサポーター同士も“初対戦”ということになる。僕も東京の応援を初めて聞いた。
 その印象は、目立ちたがってるな、というもの。

ウケ狙いのコールが多いな

「東京」が歌詞に出てくる歌のカバーでチャントを作ったりしているのは良いアイデアだな、と感心したが、ときどき、おちゃらけてるのか?と問いたくなるようなコールをやる。そう思ったのは、両者なかなか点が入らない拮抗した状況のときに出る「どっちもヘタクソ」とか「金返せ}というコールだ。メーンやバックスタンドからは笑い声が起きた。
 なんだそりゃ。大ウケして座布団でも、もらおうってのか?
 選手が戦ってるときに、どっちを応援するわけでもない言葉で笑いを取り、真剣な雰囲気を壊すことが、何のプラスになるんだ?

さらにレッズサポーターが「浦和カモン、カモン、カモン」のチャントを始めると、「東京カモン、カモン、カモン」とやり始めた。もともと彼らがそれをやっていたのか? まったく同じリズムだから、それは考えにくい。

主役になりたいのは自由だけど

そうか。彼らは自分たちが主役になりたいのか。チームを後押しして試合を優勢にすることで楽しくなるよりも、自分らが主人公になることで、良い気持ちになる。そういう応援なんだな。
 的を射ていようが外れていようが、それが東京サポーターの応援を初めて聞いた僕の感想だった。

その応援スタイルは嫌いだが、大勢の東京サポーターが認めているなら、僕が非難すべきものではない。試合の緊張感を削ぐのはやめて欲しいが、その“雰囲気壊し”との闘いも含めてレッズサポーターに頑張ってもらうしかない。

試合の真剣味を削ぐのは困る

実は“雰囲気壊し”はレッズサポーターもやったことがある。そのときは僕も批判した。
 1997年10月1日、国立競技場。ヴェルディ川崎のホームゲームで、レッズがかなり押しており、後半9分に福田正博が、19分に大柴健二が得点し、2-0。攻勢の中で2点を先行したのだから、勝利はかなり堅くなった。

だが、レッズサポーターのコールは後半、相手をおちょくるものになっていった。
「(菊池)新吉リストラ」「前園(真聖)さんの言うとおり」「ヴェルディ解散」などなど。当時V川崎が経営難に陥っていることを茶化したのだろうが、そのたびにスタンドから笑いが起こり、雰囲気は完全にダレきってしまった。

僕はそのとき、腹が立って仕方なかった。勝っている試合でもずっと応援しろとは言わないが、このとき福田は得点ランキングの上位におり、チームの優勝が望めそうもない中、自分が得点王争いに絡むことがサポーターのモチベーションを保つために大事なことだと考えて、奮闘していた。こういう試合なら固め取りしやすいはず。福田が複数得点を挙げるチャンスなのに、味方が戦う雰囲気を壊してどうするのか、と。そのことは、次のMDPや、シーズン後のオフィシャル・イヤー・ブックに書いた。

アドリアーノの看板越えで10人に

話を戻す。
 考えてみれば、東京サポーターのコールは、レッズ側にいる僕にとって耳障りでイライラさせることに成功したのだから、ある意味では効果的だったのかもしれない。
 そんなことより、後半始まってすぐに同点にされ、7分には勝ち越された。この状況を何とかして欲しかったが、10人になってビハインドではひっくり返すのは難しい。結局、終盤にも1点を追加されて1-3で負けた。
 点を取ったアドリアーノは褒めたいが、退場で敗因にもなってしまった。本人は「看板を越えたら警告とは知らなかった」と試合後語っていたようだが、クラブの強化スタッフは「ちゃんと言ってあったよ」と言い切った。

何もそんなに高圧的なカードの出し方せんでもいいだろ

「ゲットゴール福田」? シャレにならないぞ

さて真の本題はここから。
 試合の後、東京サポーターが「ゲットゴール福田」を始めた。他のレッズのチャントもやったと思う。
 僕は、あ然とした。試合中のおちゃらけは、彼らの持ち味であり武器なのだろうから、我慢するしかない。だが、勝った後で相手のチャントをやるというのは、どういう意味を持つのか。少なくとも試合に負けた後の相手のサポーターがどういう心情になるか、想像できないのだろうか。まさかシャレでやったとか言うなよ。

“物見渋滞”状態が写真に撮られた

嫌な予感があった。僕自身があのチャントに憤っていたのだから、それを大事にしているサポーターがどう思うか、容易に答えが出る。
 ただでは済まない。
 早々に片付けて、通称「出島」のビジター専用サイドスタンドの下に急いだ。案の定、すでに数人のレッズサポーターがいて、上をにらみつけていた。スタンドに上るのは、警備員に止められたようだ。モノも投げ合ったとかいう話もあった。そのうち、下でにらむサポーターの仲間が少しずつ増えてきた。
 悪いことに「出島」は西ゲートから帰るサポーターの通り道にあるし、東ゲートから出た人も近くを通る。みんな何が原因でこうなっているのか、よくわかっているから、事態がどう推移するか興味がある。短い時間に、出島の下は赤で埋まっていった。
 その様子を撮影した写真が翌日のスポーツ紙などに載り「レッズサポーターが集団で東京サポーターを監禁(軟禁かも)」という見出しが付けられていた。

駒場スタジアムのビジター専用スタンド。通称「出島」(記事の試合ではありません)

払拭したい「またレッズサポか」という風潮

たしかに写真を見ると、そんなふうに見える。
 だが、僕に言わせるとあの出来事は、東京サポーターが勝ったことで調子に乗って試合のおちょくりチャントに続いて、相手サポーターのチャントをやってしまい、レッズサポーターが駆け付けてきたことで、自分たちのしでかしたことの重大さに気が付き、喧嘩になるのを避けようとスタンドから出なかった、という見方が妥当だと思う。

結局、レッズサポーターの代表が1人、出島の中に入って東京サポの代表と話し合い、その内容はわからないが、全面衝突は避けられた。しかし念のため、レッズサポーターの近くではなく、作業用の動線から東京サポを帰すという措置が取られた。僕は出島にそんな“脱出ルート”があるのを初めて知った。

何かあると「またレッズサポーターが何かやった」という図式で描かれる。しかも実際に、言われるだけの問題は起こしてきた。「これは違う」と言っても染み付いたイメージはなかなか払拭できない。
 このときも、言わば「挑発」してきたのは東京側だったのだが、それは正しく伝わったのかどうか。

 さて、みなさんは2001年4月14日、何をして何を感じていましたか?

※この内容はYouTube「清尾淳のレッズ話」でも発信しています。映像はありませんが、“ながら聞き”には最適です。
【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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