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7月29日(2006年) あらためて17,000人

 この話は初出ではない。別の日のときに詳しく書きすぎてしまったからだ。
 でもやっぱりこの日に記しておかないといけないと思うので、あらためて、なるべくダブらないように書こう。

 2006年7月29日(2006年)、浦和レッズは小瀬スポーツ公園陸上競技場に乗り込んで、ヴァンフォーレ甲府とJ1リーグ第16節を行い、1-1で引き分けた。2000年、J2時代に二度訪れてから6年ぶりの訪問だった。そして次にこのスタジアムを訪れたのは、2014年のナビスコカップだった。

 試合は先制した甲府にレッズが追い付く展開。後半、クロスをヘッドでたたき込まれた。この際、アレックスこと三都主アレサンドロが頭部に裂傷を負った。頭にバンテージを巻いたアレックスは75分、意地の同点ゴールを決めた。これでレッズのイレブンに火がついたが、勝ち越しはならなかった。
 甲府と言えば、J2時代にレッズが唯一4試合とも90分で勝った相手。しかし甲府がJ1に昇格して初めての対戦はドローに終わった。

頭にケガを負いながらゴールを挙げたアレックス

 そして入場者の話。
 前年の2005年、小瀬での甲府のホームゲームは、5千人から1万人未満がほとんどで、1万人を超えたのは2回だけ。しかしJ1に昇格してからは半分以上が1万人以上。最少で8千人台だった。そんな状況だから、だから学校が夏休みで土曜日のレッズ戦が超満員になるのは、ある意味で必然だった。ただ―。

 それまで17,000人という千の位がちょうどの入場者はJリーグとか天皇杯で見たことがなかったので、甲府との試合中にこの数字が場内で発表されたときは驚いた。
 あり得ないわけではない。だが、このスタジアムの収容人数って、それぐらいじゃなかったか?
 まあ普通は、収容人数をだいぶ超えてしまったから消防法(だよね?)に抵触するということで、1万7千人ポッキリにしてしまったのではないか、という想像ができる。しかし、試合が白熱していたからそのときは考えるのを止めたし、試合後はきっと引き分けにショックを受けて、甲府のクラブに質問もしなかったはずだ。

 そして翌年、甲府はホームゲームを国立競技場で行い、2011年、2013年、2014年もそうだった。2014年5月6日の旧国立最後のJリーグが、甲府-浦和だったことで、「あの日」に書いたのだった。

 さて、みなさんは2006年7月29日、何をして何を感じていましたか?

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

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