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12月6日(2008年) ここから始まった最終節での代表挨拶、やめたらどう?

 2008年12月6日(土)、浦和レッズは埼玉スタジアムに横浜F・マリノスを迎えてJ1リーグ第34節(最終節)を行い、1-6で敗れた。

 開幕から2連敗でホルガー・オジェック監督が解任されたシーズン。途中、首位を維持した時期もあった。後半戦も大崩れはせず、第31節が終わった時点では首位の鹿島アントラーズに勝ち点1差の2位に付けていた。
 ただ、そこからシーズン初の3連敗。相手はすべて優勝争いから外れたチームで、モチベーションだけを言えばレッズがだいぶ上のはずだった。しかし、それが結果には表れなかった。

 オジェック監督の後任、ゲルト・エンゲルス監督は、横浜フリューゲルス、ジェフユナイテッド市原、京都パープルサンガなど、監督経験は十分だった。また天皇杯で2回優勝(横浜F、京都)、リーグ戦ではJ2の優勝経験もあった。
 また2004年からレッズのヘッドコーチを務めており、選手たちとの関係は良好で、2試合で監督が解任というショッキングな状況でチームの求心力となった。シーズン前半で首位に躍り出たところは、天皇杯優勝など短期決戦での強さを見せてくれた。

 優勝はなくなったとは言え、最終節の結果次第では2位まで上がる可能性がある6位。監督が途中交代したチームとしては、まずまず以上の成績だと言えた。タイトルが獲れれば、もっと良かったのだろうが、6月にヤマザキナビスコカップ、10月にACL、11月に天皇杯と、1つずつ大会から敗退していき、最後に残ったリーグ戦でも最終節を前に優勝の可能性が消えた。

第6節、鹿島に勝ってガッツポーズするエンゲルス(2008年4月13日)

 1-6というシーズンワーストの結果もあって、最終節終了後のセレモニーで挨拶した藤口光紀代表には、非常に大きなブーイングが浴びせられた。
 もともと、2007年のリーグ戦で16点を挙げたFWワシントンを、オジェック監督とうまくいかないことで契約を更新せず、そのオジェック監督を開幕2試合で解任するという、ちぐはぐなマネジメントになったクラブに対するサポーターの不満も根底にあったのだろう。

 Jリーグのホーム最終節で、クラブの代表が挨拶をするのはこの年が初めてだった。それまで退任が決まっている監督の挨拶はあっても、試合後はあくまでチームとサポーターの時間、という位置づけをしており、そこにクラブが入ることをレッズは避けてきた。この年も代表挨拶を入れるかどうか、ギリギリまで議論がされた。

 藤口代表が挨拶した背景には、長くレッズに貢献してきた岡野雅行と内舘秀樹がこの年で契約満了となるということがあった。2人の去就についてはすでに発表されており、ホーム最終節後の場内一周の前に2人から別れの挨拶が予定されていた。
 2003年から5年連続、何らかの優勝を経験してきたのが、無冠に終わったことでサポーターの不満が爆発することを想定したクラブは、岡野と内舘の挨拶の前に、シーズン終了のケジメが必要だと考えた。それが代表挨拶だった。言わば藤口代表は、サポーターが不満を出し尽くす対象として挨拶に立ったのだ。

 2人を含めた選手、スタッフが場内を一周し始めると北のゴール裏スタンドでは赤地に白で岡野と内舘の背番号「30」と「19」が浮かび上がった。

岡野雅行(上)と内舘秀樹(下)

 それから15シーズン、毎回ホーム最終節で代表挨拶が行われてきた。今ではあることが普通になっているから止めるのは難しくなっているようだ。
だが、レッズが草創期からの伝統としてきたのは、スタジアムの中はチームとサポーターのものというスタンスだったのだから、それに戻してもいいのではないか。30年の歴史のうち、リーグ戦の前半15年は挨拶なし、後半15年は挨拶ありと、ちょうど半々だ。31年目の来季は挨拶なしに戻すチャンスかもしれない。
 15年間続けてきた挨拶を止めるのは勇気もいるだろう。だが大ブーイングを受けるためにわざわざ行った藤口代表の挨拶を英断だとすれば、止める英断も必要なのではないかと思う。

 さて、みなさんは2008年12月6日、何をして何を感じていましたか?

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

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