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9月14日(2002年) 初めてここで90分勝ちした

 一昨日と似たテーマだが、少し違う。違うのは僕の感覚なのだが、「同意」という人もいると思う。

 2002年9月14日(土)、浦和レッズはジュビロ磐田スタジアムに乗り込んで、ジュビロ磐田とJ1リーグ2ndステージ第3節を行い、2-1で勝利した。1994年に磐田がJリーグに昇格して以来、このスタジアムでのリーグ戦勝利は2度目。90分での勝利は初めてだった。

それまでPK戦勝ちが一度だけ

 現在、ヤマハスタジアムという名称のここは、磐田の前身であるヤマハ発動機サッカー部時代から使用していた球技場で、同社が所有しているもの。いわゆる“自前”のスタジアムだ。
 日本サッカーリー時代からお馴染みのスタジアムで、レッズがここで初めてリーグ戦を行ったのは1994年4月9日。0-1で敗れた。それを含めて、1995年まで4連敗だった(1年に4回対戦した時期で、アウェイは2回あった)。

 そのネガティブな歴史にくさびが入ったのは1996年3月30日。Jリーグ第4節で、レッズはここまで開幕3連勝とそれまでにない好成績を挙げていたが、この磐田戦は先制されて前半のうちに追いついたものの勝ち越せず、延長120分でも決着がつかなかったがPK戦を4-3で制した。開幕4連勝を遂げたことと合わせ、2年間一度も勝てなかったスタジアムで勝ったことでダブルの喜びだった。

 だが翌年からまたここは鬼門になった。レッズは、93~94年のような連続最下位ではなかったが、磐田が全盛期にかかる時期であり、2001年まで引き分けすらない全敗だった。
 この2002年の試合は、レッズが磐田スタジアムで通算1勝8敗という状況で迎えた。
 磐田はこの年、1stステージで優勝。2ndステージも開幕2連勝で、1stステージの第8節から10試合連続無敗(9勝1敗)と絶好調だった。
 一方レッズもVゴール勝ちながら2ndステージは開幕から2連勝していた。トゥット、エメルソンがケガで欠場していたが、永井雄一郎、田中達也が開幕戦と第2節で1点ずつ挙げており好調だった。

 その日本人2トップが活躍。0-0で折り返した後半開始直後、達也の右クロスから永井が先制。その3分後には右CKを永井が頭で流し、達也がファーサイドでヘディングシュート。一気に2点をリードした。

永井の先制点を喜ぶ福田正博。ここで勝てていない歴史を肌で知っていた
追加点を挙げた達也。2年目の彼にはそれほど苦手意識はなかっただろう

 守っては、途中磐田にPKを与えたが、GK山岸範宏がこれをストップ。アディショナルタイムにFKで1点を許し、完封こそ逃したが内容的にも相手を制して、当時の王者にこの年11試合ぶりに2つ目の黒星をつけた。 いや、そんな相手の成績はどうでもよく、この苦手なスタジアムで完全といっていい勝利を挙げたことが、最高にうれしかった。

磐田のPKを止める山岸。キッカーは藤田俊哉

初期の連敗のイメージが強い

ところで冒頭で述べた、昭和電ドでの大分トリニータとの相性との違い。
 どちらも2勝しかしていないのは同じなのだが、大分には初対戦から同スタジアムで2連勝しているせいで、ここでずっと勝てていないという印象はメディアが騒ぎ出して初めて知ったのだ。実は今でも苦手意識はあまりない。
 しかしヤマハスタジアムは初対戦から4連敗したため苦手意識マックス。PK戦でしか勝てないスタジアム、というイメージだった。ちなみにレッズがリーグ優勝した2006年もここでは負けている。

ただ2007年以降、磐田はレッズ戦をエコパで行っている。15年経てば、「ヤマハスタジアムでの相性は非常に悪かった」と過去形で言ってもいいだろう。

さて、みなさんは2002年9月14日、何をして何を感じていましたか?

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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