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11月22日(2014年) 優勝決める試合に惜敗も依然首位 だがそれより…

 2014年11月22日(土)、浦和レッズは埼玉スタジアムにガンバ大阪を迎えて、J1リーグ第32節を行い、0-2で敗れた。首位のレッズを追撃するG大阪を迎え撃って一気に優勝を決めたい、という思いが強すぎたのかもしれない。カウンターから2失点してしまった。

「差別的横断幕事件」でシーズン初頭にダメージを受けたレッズだったが、リーグ戦では好調だった。前半17試合を首位で折り返すと、そのまま終盤まで順位を守り、2位のG大阪に勝ち点5差をつけて、この32節を迎えた。レッズが勝てば残り2試合で勝ち点8差となり、優勝が決まる。しかしG大阪が勝てば勝ち点2差に縮まり、逆転の可能性が高まる。文字どおりの首位攻防戦だった。
 レッズ好調の要因として、サポーターが苦しんでいるときこそ、チームの成績で明るい材料を作りたいという選手の気持ちもあった、と阿部勇樹は先日行われた引退試合のMDP特別号で明かしているが、それに加えてこの年はACLに出場しておらずリーグ戦に集中できるという背景があった。

 レッズの不安材料は、4週間前の鹿島アントラーズ戦で、興梠慎三が右足腓骨を骨折したことだった。それまでリーグ戦で12得点を挙げているチームのトップスコアラーであり、ポストプレーで攻撃の起点となる興梠の不在は大きなダメージとなる。このG大阪戦ではリザーブに入っていたが、果たして出場できるのか。出たとして、本来のプレーがどこまでできるのか。難しいのではないかと思われた。

 勝利を目指すもの同士のぶつかり合いは0-0で進んだが88分、G大阪陣内でFKのチャンスを得たが、それがクリアされたところからのカウンターに対処しきれず先制を許してしまう。最後は興梠が投入されてドローを狙ったが、逆に2点目を奪われて試合は終わった。

 勝ち点差は2に縮まったが、レッズはまだ首位。優勝に最も近いところにいる。
 しかし、この試合で興梠が負傷個所を悪化させ、残り2試合の出場が難しくなったこと。勝ち点5差のままだったら残り2引き分けでも優勝できること。そういう状況から、0-0で迎えた終盤はもっとドローを意識しても良かったのではないか、という声が試合後多く寄せられた。
 僕も知り合いのカメラマンから「清尾さん、どうして攻めに行っちゃったの」と言われたが、勝てば優勝だから、としか言いようがなかった。

 この件について、阿部勇樹は引退試合のMDPで「無理に勝ちに行かなくても良かったじゃないか、と後で言われました。引退した今なら、それもありだったかな、と思いますが、あのときは勝てばホームで優勝が決まるわけだし、最終節まで残さずにここで決めたい、という思いがありました」と語っている。
 終わってからは何とでも言えるが、物事が進行しているときは当事者の判断に任せるしかない。

 この日、優勝が決まらなかったことはもちろん残念だった。
 だが、もし優勝していたら僕はレッズ公式メディア担当者として以上の喜びを感じていたかどうか、わからない。
 試合中、ずっと頭の中をあることが占めていた。
 レッズのビジュアルサポートを企画、実行してきたグループ「ロッソ・ビアンコ・ネロ」が前日に解散したからだ。

この日、久しぶりに行われた大がかりなビジュアル

 さて、みなさんは2014年11月22日、何をして何を感じていましたか?

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

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