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さいしんコラム#1181~負けのあと/祭りの後のさびしさ、とは言っていられない
祭りの主体者は、祭りのあとのさびしさに浸っているなんて許されない。
祭りのあとの片づけをしなくてはならないのだ。
若いうちは「祭りのあとのさびしさは」と歌っているだけでよかった。「どうせ俺はひとりに戻るだけさ」と、いつまでも遊んでくれる友達や、つき合ってくれる女の子がいない自分をごまかしているだけだった。そうやって数日すれば日常に戻った。
だが大人になって、祭りの主体者のはしくれに加わると、余韻に浸る間もなく、やるべき片付けがある。その片付けが終わったころは、もういつもの日常が始まっている。そんなサイクルかもしれない。
決勝を祭りとイコールだとは思わないが、いろいろなことを後回しにして、あるいは犠牲にして、その準備をするという意味では似ている。
クラブだけではなく、サポーターも決勝に向かうときには、他のことに優先してさまざまな準備をしている。その後のことも想定した上でいろいろ計画を立てている。
決勝が終わったら、後回しにしておいたことはしっかり処理しなければならないし、その後の予定もこなさなければならない。そして想定していた~今回で言うと優勝したら、と計画していたもので破棄するものも出てくる。それにも少なくない手間が取られる。
だからサポーターも、もちろん主体者だ。片付けを笑顔でやるか、悔しさをかみしめながらやるかの違いは非常に大きいが、そうやって日常に戻っているだろう。
今週、水曜日の浦項戦はレッズにとって、祭りではなく日常だ。だが、将来大きな祭りを催すことができるかどうかが懸かっている、大事な日常だ。祭りのあとのさびしさなんかに浸っていたら戦えない。勝って帰ってきてくれ。
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