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7月24日(2004年) 前年の再現。引き分け狙いの相手に勝つレッズ

 ふたたび、引き分け狙いの相手との話。2004年のヤマザキナビスコカップ予選リーグ突破をめぐるジェフユナイテッド市原との戦いだ。

またナビ杯予選で崖っぷち

 まず7月17日の話からしなければならない。
 当時の状況を述べると、この予選リーグはラスト2試合、第5節と6節は市原との連戦が組まれていた。第4節を終えての順位表はこのとおり。

 浦和レッズは清水エスパルスと勝ち点で並び2位争いをしている格好だが、残り2試合が首位の市原と直接対決だから逆転の可能性はある。ただし得失点差を考えれば、1勝1分けでは抜けないだろう。1勝が5点差ならば別だが。
 また清水は大分との2連戦で2勝する可能性が大だった。大分は残り2勝して勝ち点9になっても突破できる可能性は低い。その分、思い切りやってくるだろうが大会としてのモチベーションは高くないはず。
 いずれにしてもレッズとしては、清水が2勝することを前提にしなくてはいけない。

 市原はどうか。1勝すれば勝ち点12で突破が確定。それも1位の可能性が高い。一方、1分け1敗でも上で述べたようにレッズを上回るから2位で通過できるのだ。非常に有利な状況だと言えるが、これがもしかして“悪魔のささやき”だったかもしれない。

第5節、先制されたが逆転勝ち

 17日の第5節は駒場での試合。市原は試合開始からスローペースで時間をゆっくり使ってきた。リスクを冒さずレッズの焦りとミスを誘う意図がはっきり見えた。イライラしなかったと言えばウソになるが、相手がその気ならこっちもじっくり構えて最後に1点取ればいい、そんな気持ちで僕はカメラを構えていた。
 状況が一変したのは79分。市原が速い攻めを見せて対応しきれず失点した。とたんにレッズもギアを2段階上げる。直後の80分にエメルソンの左クロスから長谷部誠がヘッドで同点。一気に守りに入った市原を攻め立て、最後はアディショナルタイムに岡野雅行が決勝点。様子見の79分、斬り合いの10数分という試合をレッズが制した。

 予想どおり清水が大分に勝ち、3チームが勝ち点9で並び、得失点差で市原、レッズ、清水の順になった。
 レッズ対市原の関係はますますはっきりした。市原は引き分け以上で予選突破。レッズも引き分けで突破の可能性がなくもないが、清水が負けることを期待できないから、勝つしかない。そんな状況で迎えた予選最終節だった。

 2004年7月24日(土)、浦和レッズは松本平広域公園総合球技場に乗り込んで、ジェフ市原とヤマザキナビスコカップ予選リーグ第6節を行い、2-1で勝利した。この結果、レッズは予選リーグ1位となり、その後決勝トーナメントも勝ち抜いて3年連続のファイナリストになった。

スタジアムも勝敗のカギだったか

 なんで松本だったのか。親会社の事情だったのか、市原臨海競技場の都合だったのか。本来のホームスタジアムでやっていれば違う結果になっていたかもしれない。
 運営こそ市原だが、会場としてはいわば中立。そしてどちらかと言えば浦和からの方が近い。ただでさえファン・サポーターの数に大きな差がある両者の試合をこんなところでやったらどうなるか。赤でも黄色でもないふだん着で来た地元の人も多かったので、レッズのホーム、とまでは言えないが、少なくともアウェイ感はまったくなかった。

松本アルウィンを埋めたレッズサポーター

 今回は序盤から点の取り合い。4分に市原の巻誠一郎が(手ではなく)右足で先制すると、8分にはレッズの山田暢久が同点ゴールを決めた。1-1で折り返した後半、シーズン初先発の堀之内聖のパスを受けた山田が66分に勝ち越しゴール。レッズが2試合連続の逆転勝ちで。順位も逆転した。

同点ゴールを決める山田

 この試合も、前半1-1になってからは、市原が引き分けを視野に入れた試合運びをしてきた。後半になって時間が進むとそれがますます顕著になってきただろうから、比較的早めに勝ち越せたことが良かった。ビハインドになった市原は当然残りの約30分間、猛反撃を仕掛けてきたが、レッズは守り一辺倒になることなく、3点目を狙いながら試合を終えた。

勝ち越し点を決めた山田に飛びつく長谷部、平川

 当時のレッズが、そんなに試合巧者だとは思えないのだが、この「引き分け狙いの相手に勝つ」ということに関しては、前年のナビスコ杯予選リーグでの経験が生きたのではないか、と思われる。そして「調子に乗る」チームだったことは間違いない。
 市原が第5節の時点で「この試合を落としても次がある」と、引き分け狙いでなく勝ちに来ていたら結果はどうなっていたかわからない。当時のオシム監督がどういう意図だったのか。本人にはもうお聞きできないので、当時の選手に会うことがあったら聞いてみたい。

 さて、みなさんは2004年7月24日、何をして何を感じていましたか?

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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