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5月23日(2007年) 2勝4分けでGS突破、ACLの戦い方を身につけた

 2007年5月23日(水)、浦和レッズは埼玉スタジアムにシドニーFCを迎えてAFCチャンピオンズリーググループステージ第6戦を行い、0-0で引き分けた。この結果、レッズはグループステージを1位で終了。初出場のACLでノックアウトステージ出場を決めた。

まだ5月なのに、このワクワク感

 平日だというのに、その日の埼スタは早くから特別な雰囲気だった。
 僕は、何だか決勝の日に近い、緊張と期待、そして少しの不安が入り交じったような気分だったが、多くのレッズサポーターもそうだったのではないか。まだ5月だというのに。
 初めて出場したACL。グループステージ5試合を戦ってきて、今日でノックアウトステージ進出が決まるところまできた。ノックアウトステージ進出=アジア8強。そう考えると身震いがする、やはり特別な日だった。

 シドニーFCには勝ち点1差をつけているから、引き分け以上でいい。レッズが有利な条件にある。しかしシドニーFCにとっては最終戦でレッズと直接対決できるというのは、勝てば必ず逆転できるのだから願ってもないチャンスだ。シドニーで対戦した第2戦では、開始〓分でシドニーが2点をリードする展開で、その後落ち着きを取り戻したレッズが追い付き2-2のドローだったが、2点目は明らかにGKのミスがきっかけで入ったもの。両者の力は拮抗していると言ってよかった。

2か月半の闘いに結果が出る

 3月7日に幕を明けてから2か月半。Jリーグと並行して、オーストラリア、中国、インドネシアでのアウェイ戦をすべて引き分けという、決して楽ではない闘いを繰り広げてきた。3つのアウェイに駆け付けたレッズサポーターはのべ3,700人にもなろうか。これで初めてパスポートを取得したという人もいただろう。その闘いに一つの結果が出る。

力がこもった当日のMDP誌面(自画自賛)

 サポーターは水曜日の試合として異例の、北のゴール裏にハートの12を描くビジュアルサポートで入場する選手たちを迎えた。
 当然ながら平日の試合は土日に比べて入場者が多くはないし、スタジアムへの来場がギリギリになる人が多い。にも関わらず、デカ旗を広げるビジュアルではなく、一人ひとりがシートを掲げる方式を選択したのは、この試合に懸ける気持ちの表われと、きっとキックオフまでには北ゴール裏のスタンドが埋まるに違いないという仲間への信頼ではなかったかと思う。実際、この日の入場者は4万4千人以上と、これも水曜日としては異例だった。
 そして後半が始まる前には、全員が掲げるマフラーの波の上を赤白黒三色のデカ旗が覆う、という二段構えのビジュアルで選手たちの気持ちを引き締めた。

緊張感いっぱいのスコアレスドロー

 試合はやはり拮抗した展開だった。シドニーFCは平均身長でレッズをだいぶ上回っていたが、それを武器に空中戦を挑んで来るというサッカーではなく、足もとの技術も高く、しっかりつないで攻撃してきた。そこに関してはあまり多くのチャンスを作らせなかったが、絶対に点が欲しい終盤は、レッズのゴール前に放り込んで来るボールが多くなり、一つの対応ミスも許されない時間が続いた。レッズも小野伸二、ロブソン・ポンテを軸に何度か相手の守備を崩したがフィニッシュが不発。緊張感のある90分が過ぎた。スコアレスドロー。その瞬間にアジアで新しい扉が開いた。

2勝4分けがACLの戦い方

 グループステージを終わってみれば2勝4分けの勝ち点10。決して素晴らしい成績ではない。しかしACLではこの戦い方が必要なのだとわかった。2点先行されてもあきらめずに追い付いたシドニーFC戦、10人になっても攻めの姿勢を崩さずスコアレスドローで終えた上海戦、そしてボコボコのピッチに苦しみながら3点を取り合ったペルシク・ケディリ戦。アウェイ戦をすべて引き分け、相手に勝ち点3を与えなかったことが、1位のみ勝り上がりのグループステージという、当時の狭き門を抜け出すことができたのだ。

 その後のACL初優勝、そして2度目の制覇に向けて、とりわけサポーターにとって大いなる経験となった2007年のグループステージ。その集約点としての5月23日は歴史に刻んで起きたい日だ。

 さて、みなさんは2007年5月23日、何をして何を感じていましたか?

※この内容はYouTube「清尾淳のレッズ話」でも発信しています。映像はありませんが、“ながら聞き”には最適です。
【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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