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5月27日(2000年) 元祖・阿部ちゃんがハットトリック

初黒星後、また連勝開始

 浦和レッズがJ2で戦った2000シーズン。当初は「全勝優勝してJ1復帰だ!」と僕も意気込んでいて、その勢いで開幕から8連勝したが、9試合目のアウェイ、モンテディオ山形戦で不覚をとり、初黒星を喫したことは5月7日に書いた。
 しかし、その次節から水戸ホーリーホック、この年からチーム名を変えた湘南ベルマーレ、大宮アルディージャとまた連勝を続けた。
 水戸には2-1、湘南には2-0だったが、大宮には6-0で大勝した。大宮戦は4-0になってから相手が10人になり、その後も2点を加えて大量点となった。

勝つのは当然、+αが欲しい

 山形に敗れて全勝がなくなってからは、ただ勝つだけでは満足できず、何かオマケが欲しくなっていた。大宮戦の6-0などはその最たるものだった。
 もちろん、チームにそんな思い上がりはなく、あくまで傲慢な僕の気持ちの話。しかしサポーターも、そう考えていた人が少なくなかったのではないか。そんなことない?
 きょう5月27日も、そんなオマケがついた試合の話だ。

 2000年5月27日(土)、浦和レッズは駒場競技場にサガン鳥栖を迎えて、J2リーグ第15節を行い、3-1で勝利した。3点はすべてトップ下の阿部敏之が挙げたもので、阿部自身初めてのハットトリックだった。

最後はPKで駄目押しの3点目

 1点目は28分、相手のエリア手前で得たFKを直接決めたもの。レッズサポーターが言う「元祖・阿部ちゃん」は正確な左足のキックが武器で、相手陣内でのプレースキックも引き受けていたが、狙える位置のFKでは直接狙うのが常だった。ここは現役時代の阿部勇樹と共通する部分だ。
 試合は後半に入り同点にされてしまうが、その10分後の74分、味方のシュートのこぼれ球を福田正博がつなぎ、最後は阿部が右足で決めた。
 そして3点目はPK。通常なら福田が蹴るところだが、福田も自分が倒されたファウルでもあるし、阿部のハットトリックのために譲ったのだと思う。2-1から終了間際に勝利を決定づける3点目が入り、しかも阿部がハットということでサポーターも盛り上がった。
 鳥栖には第4節のアウェイ戦で7-0と大勝していたが、今回もオマケ付きの勝利となった。

次のホームゲームでは阿部ちゃんがMDPの表紙を飾った

 阿部敏之は浦和出身で、浦和市立田島中学校時代のチームメートでもあるDF室井市衛と共に、この年鹿島アントラーズから移籍してきた選手。ふだんはアシストが多かったが、この日は全得点をたたき出す主役の活躍だった。本当によく浦和に戻ってきてくれた、と誰もがあらためて感謝したに違いない。

 さて、みなさんは2000年5月27日、何をして何を感じていましたか?

※この内容はYouTube「清尾淳のレッズ話」でも発信しています。映像はありませんが、“ながら聞き”には最適です。
【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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