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11月20日(2004年) 27トンの紙吹雪が駒場を包んだ日

 また名古屋に負けた話か?
 違うって。いや、名古屋に負けたのは間違いないが、シーズンを見て欲しい。そう、あの年の11月20日だ。

 2004年11月20日(土)、浦和レッズは駒場スタジアムに名古屋グランパスを迎えて、J1リーグ2ndステージ第13節を行い、1-2で敗れた。この日、ガンバ大阪が負けたため、2試合を残してレッズのステージ初優勝が決まった。

 日刊スポーツが、この数日前「11月20日の駒場は、晴のち紙吹雪」という見出しの記事を書いてくれた。レッズサポーターが、ステージ優勝を決めるこの試合で「史上最大の紙吹雪」をやろうと材料を集めていることを知った記者の手によるものだった。
 そのとおり、この日の駒場では、選手入場のときと優勝が決まったときの2回、大量27トンの紙吹雪が舞った。いや、駒場の上空を覆った。

 優勝が決まったとき、と言っても試合終了の笛が鳴ったときではなかった。この試合の負けは決まり、何とも言えない微妙な時間が過ぎた後、場内アナウンスで朝井夏海さんの「それでは、ここで万博の試合結果をお知らせします」という弾んだ声が流れた。その口ぶりで、また他の6試合をすっ飛ばしたことで想像がついた人も多かっただろう。

「ガンバ大阪対横浜F・マリノスは、0-2で横浜F・マリノスが勝ちました」
 その言葉が合図だった。
「この結果、浦和レッズの2004Jリーグセカンドステージの優勝が決まりました」というアナウンスと大歓声の中、再び紙吹雪が駒場に舞った。
 優勝は前年のヤマザキナビスコカップに続いて2度目。しかも今回はリーグ戦の優勝であり、場所はホームの駒場スタジアム。初戴冠の前年に匹敵する喜びだった。試合に負けたことなどもう関係なかった。

試合後は紙テープも

 駒場で優勝したのがレッズらしくて何よりだった。
 埼玉スタジアムができて3年目のこの年、レッズはリーグ戦のホームゲーム15試合のうち9試合を埼スタで行った。駒場でのホームは年々少なくなり、この年は6試合。2ndステージでは8試合中2試合だった。
 レッズの駒場でのリーグ戦成績は、それまで61勝9分け51敗。通算121試合の半分しか勝てていないのは、あまりホームらしくはない。Jリーグ開幕から1997年までは負け越しており、その数字が響いていたのだ。

 それほど、駒場のピッチには選手たちの汗が、そしてスタンドの床にはサポーターの涙がしみこんでいる。中立会場で行われる大会は仕方ないがホーム&アウェイの大会は駒場で優勝したかった。これで多少は恩返し(罪滅ぼし)ができただろうか。

 さて、みなさんは2004年11月20日、何をして何を感じていましたか?

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

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