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3月25日(2000年)ほとんど意識しなかった「埼玉」ダービー

浦和と大宮は別の都市だった

 2000年3月25日(土)。浦和レッズは駒場スタジアムに大宮アルディージャを迎えて、J2リーグ第3節を行った。
 これが隣の都市、大宮のプロチームとの初めての公式戦。第1回埼玉(県)ダービーだった。

 さいたま市の誕生はこの翌年で、このときは浦和市と大宮市がともに埼玉県の中核都市として覇を競っていた。
 覇を競う、は変かもしれない。浦和は県庁を抱え、行政、文化、教育の都市として、大宮は商業のまち及び鉄道の要所として、それぞれの濃いカラーがあったのだが、商業団体、スポーツ団体、地域団体などはライバル意識が強かったと僕は感じている。
 もちろんサッカーにおいては浦和が歴史的にも実力的にもリードしていた。

初の埼玉ダービーがJ2とは

 それまでJリーグでは、フリューゲルスが存在した1998年までは横浜ダービーがあり、ジュビロ磐田が昇格した94年からは静岡(県)ダービー、セレッソが昇格した95年からは大阪(府)ダービーなど、同地域のクラブによるダービーが注目されていた。
 レッズは、アルディージャの前身、NTT関東サッカー部とは96年と97年の天皇杯初戦や、プロ化を表明した98年開幕前のプレシーズンマッチで対戦していたが、まさかこんなに早く、かつJ2で埼玉(県)ダービーが実現するとは正直思っていなかった。まあ、それはそれで仕方がない。

 ただ、たぶん当時の浦和レッズにはダービーという意識はほぼなかったと思う。
 間違ってJ2に来てしまったこの年、ぶっちぎりで実力を示しJ1復帰を果たさなくてはいけない。その当然勝つべき相手の一つぐらいにしか思っていなかったのではないか。驕りも甚だしいが、当時の僕の感情を思いおこしてみると、当たらずとも遠からず、だと思う。

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大宮サポのダービー意識は感じた

 ただし大宮サポーターは違っただろう。この前の年、NTT関東サッカー部が大宮アルディージャに移行した98年ぐらいから、Jリーグ(J1)では浦和レッズ、JFL(J2)では大宮アルディージャを応援するというサポーターも現われた。この2000年の段階では、それほど多くはなかったと思うが、彼らはそのうち浦和と大宮どっちを応援するのか旗幟鮮明にする必要が出てきて、大宮を選んだ人もいる。
 また間違いなくプロサッカークラブということでは後発であり、しかもサッカーの歴史においても大宮は浦和の後塵を拝していたのだから、この試合で勝って浦和を見返したいという大宮サポーターは多かっただろう。

 キックオフのとき、ビジタースタンド(通称出島)から、オレンジ色の紙テープが投げ入れられた。そしてレッズ側もバックスタンドの2階に赤のデカ旗を広げて試合を盛り上げた。おそらくダービーとしてではなく、勝つべき試合として。


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 試合は後半、小野伸二がゴールを決めて、1-0でレッズが勝った。レッズはこれで開幕から3連勝。まだまだ勝って当然という雰囲気があったと思う。
 ただ、この日の入場者は20,189人。開幕戦の18,422人よりかなり多かったのはビジターサポーターの数の違いだけだろうか。

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 今はカテゴリーが違うため天皇杯でもなければさいたまダービーは実現しないが、ダービーの原型が22年前のこの日にあったのは間違いない。
 ところで大宮アルディージャの話題が出たところで、それに関してスピンオフ的に投稿したので、そちらも読んでみて欲しい。

 さて、みなさんは2000年3月25日、何をして何を感じていましたか?

※【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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