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8月5日(2017年) 重荷を背負った第二次堀体制がスタート

 2017年8月5日(土)、浦和レッズは埼玉スタジアムに大宮アルディージャを迎えて、J1リーグ第20節を行い、2-2で引き分けた。第19節、アウェイのコンサドーレ札幌戦で敗れた翌日、コーチから昇格した堀孝史監督の初采配だった。

 初采配とは言っても、2回目だった。
 2011年、ゼリコ・ペトロヴィッチ監督が解任され、後任として当時レッズユースの監督を務めていた堀さんに白羽の矢が立った。このことは、おそらくその日が来たら書くだろうから詳しくは述べない。

 クラブの考えに2011年、いきなり監督をやってもらって残留に成功したのだから今回も、という考えがあったことは間違いない。
 だが2011年のミッションは「残り5試合でJ1残留」一点で、簡単ではないがシンプルだった。一方、2017年はACLのベスト8以降を含めシーズン後半がまるまる残っていた。しかも「ミシャ監督の良いところを継続して」という注文がついていた。さらにシーズン開幕当初掲げていたリーグ優勝の目標は降ろさないということだった。ミシャ監督退任後、コーチから昇格した森保一監督によってJリーグを連覇したサンフレッチェ広島を意識していたのだろうが、当時のレッズは首位と勝ち点12差の8位。そこから優勝しろ、というのは言葉だけにしてもムチャな話に思えた。
 堀監督は、重荷を背負われての就任だった。

 この試合は、槙野智章が前節の退場で出場停止。那須大亮が前節のケガで欠場と、守備陣が非常事態だった。まさに「ミシャサッカーの継続」と皮肉も言いたくなった。
 しかし前半にPKを興梠慎三が決め、66分に追い付かれたもののすぐに柏木のゴールで勝ち越し。第二次堀レッズは、さいたまダービーの勝利でスタートするかと思われたが88分、同点ゴールを決められドロー。守備に不安を残す初戦になった。

 ところで、この試合で大宮のゴールを守っていたのは、2011年の残留争いで共に戦った加藤順大。堀監督も感慨深かったのではないか。いや、そんな余裕はなかったかもしれない。

 さて、みなさんは2017年8月5日、何をして何を感じていましたか?

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