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12月11日(2004年) 限りなく近づいた、王座への最初の挑戦

 2004年12月11日(土)、浦和レッズは埼玉スタジアムに横浜F・マリノスを迎えて、Jリーグチャンピオンシップ第2戦を行い、1-0で勝利した。第1戦と合わせて1-1のため、そのまま延長30分間を戦ったが決着が付かず、PK戦に委ねられた結果、Jリーグチャンピオンは横浜FMに持って行かれた。
 
 6日前に日産スタジアムで行われた第1戦は、横浜FMの堅い守備にやられた。シュートは前後半合わせて6本、横浜FMはそれより少ない5本。そのうちCKからの1本でやられた。決めたのは元レッズの河合竜二だった。埼玉県生まれではあるが、レッズでの出場があまりない河合だが、レッズサポーターの記憶に最も深く刻まれているのが、このゴールだろう。

 横浜FMは1stステージを勝ち点36で優勝。レッズは勝ち点25で3位だった。
 2ndステージはレッズが勝ち点37で優勝し、横浜FMは勝ち点23で6位。首位になる可能性がなくなったステージ後半は、チャンピオンシップに向けて調整に入ったかもしれない。そこが2ステージ制特有の戦略でもあった。 
 一方、レッズはステージ優勝を果たした流れのままチャンピオンシップに臨めた。2試合を残して優勝し、その2試合にも快勝。年間勝ち点では横浜FMより上だという自負もあった。

 第1戦は横浜FMの岡田武史監督が描いた青写真にハマってしまった。シーズン終盤はレッズをじっくり研究していたのかもしれない。
 この第2戦もレッズは立ち上がりからトップギアで攻撃を仕掛けたが、点が取れずに時間が流れた。しかし、研究されても関係ない伝家の宝刀がレッズにはあった。
 74分、エメルソンが倒されFKを得ると、三都主アレサンドロが左足を一閃。見事にネットを揺らし、トータルで勝負を振り出しに戻した。しかも、このファウルで横浜FMの中西永輔が一発退場。レッズが俄然有利になった。

 しかし、何度横浜ゴールに襲いかかっても2点目を取れず、延長の30分だけで7本のシュートを放ったが横浜FMに守り切られた。
 PK戦では先頭の田中マルクス闘莉王と4人目の長谷部誠が失敗。横浜FMは4人が決めて、決着がついた。

 この試合、レッズサポーターはシーズン最高の応援をしたと言っていいだろう。埼スタなので、自粛を要請されている紙吹雪ではなく、メーン、バックからも旗が振られ、手拍子はもちろん大きな声が出された。素晴らしい雰囲気の中で、Jリーグ王座への最初の挑戦で、限りなく近づいた日だったが、手に入れることはできなかった。

バックスタンド
メーンスタンド
選手入場時の北ゴール裏

 さて、みなさんは2004年12月11日、何をして何を感じていましたか?

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

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