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11月23日(1999年) 残留に大きく近づくチャンスに足踏み、しかし萎えず

 1999年11月23日(火祝)、浦和レッズは等々力競技場に乗り込んで、ヴェルディ川崎とJ1リーグ2ndステージ第14節を行い、2-2で引き分けた。

 11月17日の第12節ジェフユナイテッド市原戦でステージ3勝目を挙げると、13節ベルマーレ平塚戦で今季初の2連勝。13節では市原が負けたため、レッズは年間14位に浮上し、降格圏から抜け出した。このヴェルディ戦を複数得点差で勝利すれば、残留にかなり近づくことになる。
 等々力に詰めかけたレッズサポーターの数は「おびただしい」と表現したくなった。綱引きで、応援するチームがもう少しで勝ちそうだという状況で、われもわれもと綱に取りつき力を込める、そんな感じだった。

等々力競技場に入る直前のレッズサポーター

 チームも同じ気持ちだっただろう。開始2分に永井雄一郎が先制。永井は2試合連続ゴールだ。39分に同点にされて折り返したが、67分に岡野雅行のドリブル突破をファウルで止められPKを獲得。これを小野伸二が確実に決めた。
 しかし勝ち点3を得る一歩手前の88分、北澤豪に同点ゴールを決められ延長に入り、そこから30分間スコアレスでドローとなった。

岡野はファウルを受け右膝を負傷したがプレーを続けた

 勝ち点1を積み上げた後、他会場の結果を知って驚いた。
 市原がアビスパ福岡に5-0で大勝していたのだ。勝ち点はまだレッズが1上回っているが、得失点差で4の差をつけられた。
 ヴェルディ戦の前とはだいぶ違う様相になったが、最終節で90分勝ちすれば、市原の結果にかかわらず残留が決まる。
 等々力からの帰り道、ネガティブになっていたサポーターはいなかったのではないか。

結果はやや残念だったが試合前のテンションで帰途についた人は多かったはず

 さて、みなさんは1999年11月23日、何をして何を感じていましたか?

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

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