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11月4日(2002年) 浮かれてたっていいじゃないか初なんだから

 2002年11月4日(月休)、浦和レッズは国立競技場で鹿島アントラーズとJリーグヤマザキナビスコカップの決勝を戦い、0-1で敗れた。これがレッズとして初めての決勝だったが、初戴冠はならなかった。
 なんか昨日のメーンの文と、骨格は同じだな。結論が大違いだが。

 浦和レッズとして初めて準々決勝の壁を破ると、準決勝も勝ち進んで、一気に決勝へ。
 初めてファイナリストになった10月2日の夜から1か月、至福の時間だったと言っていい。相手の鹿島とは予選リーグで同じ組だったが、2試合とも3-2で勝っていた。日本代表が何人も抜けていた予選リーグとフルメンバーになる決勝を同じに考えてはいけないとわかっていたが、ウキウキする気持ちを抑えるものが何もなかった。

 クラブは決勝の前日に、「レッズ・イヴ」と題して、ギド・ブッフバルト、ウーベ・バインをスペシャルゲストに招き、さいたまスーパーアリーナでトークイベントを行った。“弱かりし頃”の日本人選手も参加したはずだ。
 僕は「本当の」前夜祭の取材があったので行けなかったが、後に「あんなことやってるからいけないんだ」と言われたイベントだった。

 たしかに、ある意味では初めて東京に出てきた者のように浮かれていたかもしれない。
 でも仕方ないじゃないか。うれしかったんだし。と今では思う。
 準決勝から決勝までをどう過ごすべきか知らなかったのだから、思ったことをやるしかなかった。

 実際、試合は0-1だったし、その1点も枠を外れていたと思われるシュートが、井原正巳の背中に当たってコースが変わり、ゴールに吸い込まれたものだった。
「あの点がなくても、レッズは鹿島に勝てなかった」と終わってから訳知り顔に言う人もいたが、そんなのわからないじゃないか。たしかに落ち着いた試合運びの鹿島に対し、地に足がついていなかったようなレッズだったことは認めるが、サッカーに絶対はない。負けたから批判されたが、もし優勝していたらどういう評価だっただろうか。

 それはともかく。
 全てが未知の世界だった。
 決勝で負けるということがどういうものか、初めて知った。
 けっこう慣れていたはずの国立競技場がよそ行きの建物に思えた。
 そんなに最初から一気に優勝まで、というのはムシが良すぎたのだろうか、と思った。
 一番残念だったのは、福田正博にタイトルを獲らせられなかったことだ。何度もあるチャンスだとは思えなかったから。

 ところで、準決勝で勝った翌日から「ナビスコカップ決勝でもMDPが読みたい!」というメールがクラブに届いたことで、ホームゲームではないが、MDPの特別号を出すことになった。この経験は、その後も天皇杯決勝を含め、生きていることは間違いない。

 さて、みなさんは2002年11月4日、何をして何を感じていましたか?
 レッズ・イヴに行った人がいたら、その感想も聞きたいです。

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

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