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12月7日(2019年) 終盤に残留決定+体制一新+3年計画。でも昔と違うはず

 2019年12月7日(土)、浦和レッズは埼玉スタジアムにガンバ大阪を迎えてJ1リーグ第34節(最終節)を行い、2-3で敗れた。J1残留は前節引き分けたことで九分九厘確実だったが、もし最終節でレッズが大差で負けた場合、他会場の結果によっては降格圏に沈む可能性がわずかにあったので、この節をもって残留が確定したということになる。

 2017年にミハイロ・ペトロヴィッチ監督から堀孝史監督へ、2018年は堀監督から大槻毅暫定監督を経てオズワルド・オリヴェイラ監督へ、2019年はオリヴェイラ監督から再び大槻監督へと、レッズは3年連続で指揮官が途中交代する迷走ぶりを見せた。
 一方、リーグ戦で優勝に絡むことはなくても、2017年はACL、2018年は天皇杯とタイトルは手にしていた。しかし、この2019年は前年の天皇杯優勝で出場権を得たACLで通算3度目の決勝に進む快進撃を見せたが優勝は果たせず、リーグ戦では残り5試合で降格圏と勝ち点6差、J1昇格プレーオフ圏と勝ち点4差と、残留がなかなか確定しなかった。
 その終盤5試合は1勝2分け2敗と芳しい成績ではなかったが、下位チームに抜かれることはなく、最終的には勝ち点37で14位だった。

 この翌8日、クラブは大槻監督の翌シーズン続投を発表。同時に、クラブの強化体制を機構、顔ぶれ共に一新し、数年前に策定した「浦和レッズの理念」に述べられている「浦和を背負う責任」をチームと選手が全うすることをベースにチームを変革していくことを宣言した。 
 さらに13日、新強化体制の記者会見を行い、これまで監督任せになっていたサッカーのスタイルをクラブが定め、そのビジョンと一致する監督を据え、選手を獲得していく、という方針を発表した。そして、2020年からの3年計画でリーグ優勝を目指すことを宣言した。

 終盤に残留を確定して、強化体制を一新し、翌年からの3年計画を策定する。
 
 この文言だけ聞くと、2001年から2002年に掛けて行われたものと、全く同じだ。そう揶揄する声があったのも無理はない。
 だが、18年前の3年計画は、1年目にクラブの代表が替わると「それは引き継ぎがされていない」と、いつのまにかウヤムヤになってしまった。その後、5年連続何らかの大会で優勝するという黄金期が訪れたが、長くは続いていない。
 今回の3年計画がどう総括されるのかは、クラブの声明を待ちたいが、来季新監督になってサッカーのスタイルがどう継続され、何が変わるのかが1つの証明になる。
 3年前の今ごろ、うち出された方針が、結果を3年先送りする手形のようなものだったのか、それとも長きにわたって堅持する覚悟に裏打ちされたものだったなのか、その答えが出るだろう。

 12月7日からは、少し離れた話になってしまった。

 さて、みなさんは2019年12月7日、何をして何を感じていましたか?

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