見出し画像

4月4日(2001年)J2の山形にナビスコ杯初戦を落とす

 2001年4月4日、浦和レッズはアウェイの山形県総合運動公園陸上競技場で、J2のモンテディオ山形とヤマザキナビスコカップ1回戦の第1戦を行い、0-2で敗れた。

画像1

勝ち癖をつけたかったが

 当時のナビスコカップはJ2を含めたJリーグの全クラブが参加する、まさしく「リーグカップ」だった。この年は28クラブがトーナメント方式で優勝を争った。決勝のみが1発勝負で準決勝まではすべてホーム&アウェイ2試合で決着をつけた。レッズは初戦の相手、山形に第1戦で2点のビハインドとなったわけだ。

 レッズはこの年、J1に復帰したばかりで、リーグ戦は3試合を戦って1勝1分け1敗。4日前のアビスパ福岡戦で復帰初勝利を挙げたばかりだった。ナビスコ杯ではあるが、J2の山形に連勝してを“勝ち癖”をつけたいと思っていた。少なくとも僕は。
 ただ、山形とは前年のJ2で開幕9試合目に対戦。それまで8連勝していたレッズが、初黒星をつけられた相手でもあった。さらに終盤にも1敗し、J2での対戦成績は2勝2敗。レッズがJ1に昇格したとはいえ、相性の良いチームではなかったのだが、そのことには目をつぶっていた。

まさかの0-2完敗

 山形は強かった。自分たちと互角の星だったレッズがJ1に昇格したことで、対抗心を強くしていたのかもしれないし、自信を持っていたこともあるだろう。速いパス回しと鋭いプレスを続け、前半はレッズの攻撃陣にほとんど仕事をさせなかった。そしてレッズのミスをついて、2点を挙げた。
 レッズには、こんなはずじゃない、という思いもあっただろう。後半、早めの選手交代で打開を図ろうとしたが、あせりもあってか得点するまでには至らず、0-2で第1戦を終えた。負けるにしても内容的にも完敗で少なからずショックだった。

画像2

3年連続、第1戦を落とす

 ナビスコカップの大会方式がホーム&アウェイのトーナメント戦になったのは1999年から。レッズはその年大分トリニータと、2000年は川崎フロンターレと、そしてこの01年は山形と初戦で当たったがいずれも第1戦を落としている。
 共通しているのは「勝てるだろう」と見込まれていたことだ。
 99年と01年は相手がJ2チームで“格下”だったので、どうしてもそういう意識が働いただろう。2000年は、レッズが下のカテゴリーにいたがJ2で5連勝中、川崎はJ1で1勝1分け4敗で低迷していたので、力はレッズが上だろうと、メディアが大原で盛んに話していた。当然、それは取材される選手たちの耳にも入る。影響がなかったとは言えないだろう。川崎との第1戦は0-3と大差がついた。

第1戦を教訓に逆転に成功

 2001年のころのレッズは、勝てるだろうという見込みが、試合に勝つ妨げとなることを、まだ学んでいる途中のレッズだったのではないか。必要なのは「絶対に勝つ」という強い気持ちなのだと。
 ちなみに山形との第2戦は2週間後の4月18日に行われ、3-0の勝利。2試合トータル3-2でレッズが2回戦進出を決めている。第1戦の結果が良い薬になったと言えるだろう。

 さて、あなたは2001年4月4日、何をして何を感じていましたか?みなさんの投稿をお待ちしています。


※【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?