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2007ACL往復書簡特別編・清尾→小齋「日本の代表として/レッズの本気度」

 小齋くん、こんにちは、

 この往復書簡、今年のACL決勝第1戦までに終了しようと思っていたのですが、どうも難しくなりました。すべて僕の怠慢とPCのトラブルによるものです。すみません。
 そうは言っても、歴史の証言として後世に残しておきたいので、時期がどうあろうと完結させたいと思っていますが、4月29日の決勝第1戦を前に「ACLって、ここが面白い」「ここがJリーグと違う」「一度は体験しておいていい」みたいなものをダイジェスト的にやりとりしませんか。
 いわば特別編です。どうか僕のワガママにお付き合いください。

 まず2007年のACLで強く印象に残っているのが、決勝のことを取り上げた日本テレビのスポーツ番組で、北澤豪さんが「我らが浦和レッズ…」と言ったことです。レッズのホームゲームで朝井夏海さんが「我らが浦和レッズが勝ちましたー!」と幸せそうに叫ぶときによく聞きますが、まさか北澤さんから、しかも日本テレビの番組でこのフレーズを聞くことになるとは夢にも思っていなかったので、本当に驚きました。
 この時点でようやく、「そうか、浦和レッズは日本を代表してアジアで戦っているんだ」と気づいた間抜けぶりです。それまでレッズは浦和の代表であり、他のチームはみんなライバルだという意識しかなかったので、ちょっと認識が改まりました。そういえば選手たちも「他チームの選手からACL頑張ってね、と言われた」と言っていましたね。

 でも僕は、決勝第2戦(11月14日)の直前のJリーグで一部のガンバサポーターがスタンドに「私たちはセパハンを応援しています」という横断幕を出したことを知り、正直だなあ、と思いました。「そりゃ、あなた方はそうだろうね。でも俺ら優勝しちゃうから」とモチベーションが高まりました。
 ちなみにガンバは2005シーズンのJリーグ優勝で、2006年のACLに出場していますが、2005年度の天皇杯優勝で2007ACLの出場権を得たレッズはガンバにお願いして、この2006年ACLにスタッフを帯同させてもらいました。レッズが初出場の2007ACLで優勝できたのは、1年間の準備期間があったことが決定的な要因だったと僕は思っていますが、その中でもこの帯同は大きな部分を占めたはずです。なのでガンバの「クラブには」本当に感謝しました。
 また、今年の話になりますが、先日等々力競技場で行われた川崎フロンターレとのリーグ戦が終わった後、その場から決勝第1戦のサウジに向かうであろうレッズに対してスタジアムのビジョンで「掴み取れACL! 頑張れ 浦和レッズ!」というメッセージが掲示されたこと、等々力のピッチでクールダウンをするレッズの選手たちに川崎サポーターからも激励の拍手があったことは、お伝えしておかなければならないですね。僕は記者席を離れてしまったので、現地で写真を撮れず残念ですが。

DAZNでも紹介していたので、その画面です

 次に、2007年のACLを通じて、あらためて強く認識したのが、ACLを獲りたいというレッズの思いの強さです。言葉を替えれば本気度の高さです。レッズというのは選手たちはもちろん、クラブとサポーターも含めてのことです。
 クラブは先述したように、前年1年かけてACLの実態を調査し、勝つためにできる万全の体制を敷きました。またサポーターの熱をしっかり受け止めて、2つのホームスタジアムのうち、大きな方の埼スタでホームゲームを行うと決め、なるべく試合開始から多くの人に来てもらうためにキックオフを19時半にしました。
 そしてサポーターは、クラブが期待したとおり、いやそれ以上にACLで存分に闘いました。それまで日本のチームとACLで対戦したことのあるアジアのチームは、「なんでURAWAはアウェイにこんなに多くのサポーターが来るんだ」と不思議がり、びっくりしたことでしょう。特に、イランでサッカースタジアムに数十人の女性が入場したのは初めてだったかもしれません、のべ6回のアウェイ戦でしたが、窮屈な扱いを受けながらもスタンドに立つ「浦和」の文字はどれだけ選手たちを勇気づけたでしょう。

空港で出発を待つレッズサポーター(いつの試合か不明です)

 さらにホームゲームです。準決勝第2戦51,651人、決勝第2戦59,034人。これすごくないですか。水曜日の試合ですよ。2試合ともスタンドでビジュアルサポートが展開されましたが、一人ひとりがビニールシートを掲げる「コレオグラフィー方式」はスタンドが埋まっていないとできません。埋まる確信があったのでしょう。
 準決勝第2戦のPK戦は、まさにホームの力で勝ったといい内容で、今や伝説ですね。しかも昨年それが復活したんですよ。知ってました?

2007年10月24日。準々決勝第2戦vs城南一和(埼スタ)
2007年11月14日決勝第2戦vsセパハン(埼スタ)

 僕の話はどうしてもサポーターのことが多くなってしまいます。もう一つだけ。
 2004年は2ndステージで優勝しました。ステージ最終節を終えて選手たちが場内一周を始めるとき、北のゴール裏に「GO TO ASIA」という文字が浮き上がりました。タイミングから言って、このあとに控えるチャンピオンシップに向けたものですが、「BE THE CHAMP」じゃないんです。勝ったら何が待っているか。日本のリーグで優勝して、アジアへ行こう、と言っているんです。当時は、どのクラブもACLをあまり重視していたとは思えず、メディアの扱いも大きくありませんでした。残念ながらこの年は実現しませんでしたが、こんなときからレッズサポーターはアジアを、世界を目指していたんです。そしてチームのケツを叩くからには自分たちもそれにふさわしい応援をする。そんな存在です。

2004年11月28日Jリーグ2ndステージ最終節「終了後」(埼スタ)

 勝ったときは幸せな気持ちになるのはもちろんですが、ACLではクラブ、チーム、サポーターの気持ちが一つになってベクトルが同じ方を向くことが多いですね。だから浦和レッズって、ACLで強いんだと思います。2007年はチームの戦力そのものもハンパじゃなかったですが、それでも初めての大会で優勝するには、サポーターの力が必要だったでしょうね。

2007年11月14日(上下とも)

 浦和レッズ・オフィシャル・マッチデー・プログラムという仕事に関わらせてもらっていること自体が幸せですが、それを通じて、50歳だった僕が例年にはない濃い体験ができた2007年でした。


 

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