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8月22日(1998年) 2nd開幕戦勝利、前節ハットの岡野はベンチスタート

 1998年8月22日(土)、浦和レッズは平塚競技場に乗り込んで、ベルマーレ平塚とJリーグ2ndステージ開幕戦を行い、4-0で勝利した。

 8月22日が2ndステージの開幕とは遅い。ワールドカップフランス大会のため中断があったからだ。といっても、1stステージと2ndステージの間に中断があったわけではなく、1stステージの最中に約1か月半、リーグ戦が中断したのだ。1stステージが終了したのは8月8日。2週間後に2ndステージが開幕した。

 1stステージの最終節、レッズはアウェイでヴィッセル神戸に大勝した、と8月8日の「あの日」に書いた。大柴健二の負傷により、岡野雅行が途中出場でハットトリックを達成した試合だ。
 この2ndステージ開幕戦はその次の試合、ということになり、大柴はまだケガが癒えていなかったので岡野の先発が予想されたが、岡野はベンチスタートだった。
 シーズン開幕前から大けがで離脱していた福田正博が復帰して、この2nd開幕戦の先発を務めた。岡野は63分に福田と交代で出場した。

先発した福田は前線で良い動きを見せていた

 4得点は、ゼリコ・ペトロヴィッチとベギリスタインが2点ずつ。福田も岡野もゴールはなかったが、福田は2本のシュートを放ち、ゼリコの先制点をアシストするなど復活をアピールした。
 福田が戦列に復帰したことを多くのサポーターは大歓迎したが、その陰で「ハットトリックした次の試合で先発できないなんて、何なんだよ」と不満を漏らす岡野がいた。

 気持ちはよくわかった。
 岡野はこの年、日本代表としてワールドカップに出場。しかしフランスから帰ってきてリーグ戦が再開しても岡野が先発起用されることはなく、再開以降2勝(1勝はPK勝ち)2敗と苦しんでいたが、そこへ1st最終節でハットトリックし、勝利に貢献したのだから、次こそ先発だ、と意気込むのは普通のことだ。

 当時、レッズの原博実監督が岡野をはじめ、選手たちの起用をめぐって、どういうマネジメントをしていたか僕はよく知らないので、ここからは一般論だ。
 自分が先発を外れることや、あるいはメンバー外になることを、監督から説明があったとしたら、その理由に理解はしても納得できるものではないだろう。だが、試合前日までに次の試合の起用に関して監督が話をするというのは、自分に対する敬意を見せてくれるものとして選手は受け止めるのではないか。それを選手全員にやっていてはキリがないが、大事なところではそうであって欲しい。僕はそう思う。

 さて、みなさんは1998年8月22日、何をして何を感じていましたか?

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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