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往復書簡③ 清尾→小齋「初めての中国で貴重な体験いっぱい」

 小齋くん、こんにちは。
 使用していたパソコンが完全に駄目になって、入っていたデータがすべて使えなくなってしまいました。半分くらいは、あちこちの外付けハードディスクにコピーしてあるのですが、すぐに引き出せる環境と、どこにあったか探さなくてはならない状況とでは、車と徒歩ぐらいスピード感が違い、本業を片付けるのに精いっぱいでなかなかこちらが書けませんでした。申し訳ありません。

 さて話はこの往復書簡のテーマどおり16年前に飛びます。
 小齋くんの手紙にあった「レッドアイ」ですが、その後僕も飲みました。炭酸が弱まり、アルコール度数が低くなりのは歓迎しませんが、少し甘みが出るところは良いですね。注文したときは小齋くんを思い出しました。「ゲテモノ」扱いは取り消します。
 それと、試合翌日のオーストラリアの新聞の写真を載せておきます。

現地のメディアがこれだけ大きく扱う存在だった

 さて今回の主題です。
 ACL2007グループステージを1勝1分けでスタートした浦和レッズは第3戦をホームの埼スタで行い、中国の上海申花に1-0で勝利しました。4月11日でした。

バックスタンドにデカ旗3枚が出ました

 例によって試合に関してはお任せします。 一つだけ記しておいた方がいいかなと思うのは、この年のACLはホームゲームが19時半キックオフだったということです。今ではレッズの他のホームゲームも、平日に行うときは基本的に19時半からになっていますが、それはこの年からでした。

 前年まで、仕事が終わってからサポーターがスタジアムに向かう平日の試合は、所要時間を考慮して駒場で行われていたのですが、ACL出場が決まったとき、レッズは水曜日でも会場を埼スタにすることを決めました。
 たとえば2005年の横浜F・マリノスは、日産スタジアムでなく三ツ沢球技場でACLのホームゲームを行っていました。たぶん当時は、それぐらいのキャパシティで十分だったのでしょう。

 しかしサポーターが長年悲願にしていたACLを、2万人のスタジアムで行うわけにはいかないし、アジアの頂点を目指すという本気度が疑われてしまう、ということで、1人でも多くの人が最初から応援できるようにキックオフを19時半にしたのです。

キックオフ時にはほぼ満員の北ゴール裏

 この検証のために、レッズは2006年のリーグ戦で平日の試合を一度だけ埼スタで行い、時間帯別の来場数を調査しました。すると19時から19時半の間に、相当数の入場があることが判明し、19時半キックオフを決めたのでした。このあたり、ACLに関してクラブの用意周到さがうかがえますね。

 もちろん家が遠くの人は帰宅が遅くなり大変だったと思います。
 僕らも、よく試合の後は仕事を終えてから軽く飲むことがありましたが、ACLの日はなかったですね。
 本来、第1戦のペルシク・ケディリ戦で押さえておくべき話でした。

 話を戻し、グループステージの折り返しとなる第4戦は、上海申花とのアウェイ戦でした。
 僕は、これが初めての中国訪問でした。
 だいたいACLのアウェイは前日練習から取材するので2泊3日とか2泊4日でしたよね。この上海アウェイは資料がなくなってしまい、詳しい行程が明確ではないのですが、記憶にあるのは2つです。

 まず、ホテルからスタジアムまで2人で歩いて行ったとき、小さな中華料理店(上海でこの表現はおかしいか)の店先で、麺を手延べしているのを見ましたよね。
 小麦粉を練って熟成させた塊を両手で延ばし、台に叩きつけては2つに折り、また延ばす。こうやって、1本が2本、2本が4本、4本が8本…、と通常の太さの麺になっていく。そういう麺作りの手法があることは、昔「包丁人味平」で知りましたが、実演を見たのは初めてでした。

 2人でしばし、その技に見入ってしまい。ここなら美味そうだな、という話になりました。店をのぞくと、品書きが壁に貼ってあり「ナントカ麺 5元」というのがあり、「5元?…50円?!」ということで、一も二もなく入りました。
 決してきれいではない小さな店で、ちょうど昼時で客も多かったですが、ほとんどの人が下着のシャツ1枚みたいな服装でした。

 それはいいのですが、僕はここでパクチーの香りを初めて嗅ぎました。といっても当時パクチーという名称は知らず、とても食事とは相容れないような香りに驚きました。
 これも漫画の知識で申し訳ないですが、「美味しんぼ」で、料理を手にとった海原雄山が「ああ、香菜の香りがたまらない」と言い、香港だか中国の人が「珍しいですな。日本の方はこの香りを嫌いな人が多いのに」みたいなことを言うシーンがありました。それを思い出し「たぶん、あの香菜とはこれのことだな。たしかに俺は無理だわ」と思ったものです。

 その匂いが鼻について、肝心のラーメンについては味の記憶がないのです。麺がなめらかでコシがあったのぐらいは覚えていますが…。小齋くんは、いかがだったでしょうか。ちなみに、今でも僕はパクチーは苦手です。鶏肉よりも敬遠します。

 上海での思い出の2つめ。試合ではないですが、スタジアムの中での話です。4月25日はやはり水曜日ですが、現地時間で16時からの試合でした。何でですかね。

早くからスタジアムに集まるレッズサポーター

 スタンドは閑散としていました。当時の公式記録では大雑把に「6,000人」とあるだけで、そんなに入ってはいなかったでしょう。 上海のサポーターは塊が2つあるようでした。バックスタンドの右と左という感じだったかな。 たしか上海申花は、2つのクラブが合併してできたという経緯があったはずで、元の2つのサポーターが、一緒に応援するのを良しとしていないのかもしれないな、と思ったものです。

 レッズサポーターは800人ぐらいだったでしょうか。これは当然、1箇所に押し込められていましたが、アウェイでは、特に中国ではそういう対応をされることが多く、その方が闘志が湧くという人もいます。
 いきなり始まった「浦和レッズ」コール。
 聞きなれた僕でも、のんびりムードのスタジアムの空気が一変したと感じました。
 そう受け止めたのは上海サポーターも同じだったようで、しばらくすると片方の集団からもう片方の集団に一人二人と移動し始め、ついてには合体してしまいました。

片方から片方へ合流するために走る上海サポーター

 僕は、レッズの応援を目の当たりにして、これじゃ力を合わせないと勝てない、と思ったのかもしれない、と考えました。
 そして、頭に浮かんだのが太平洋戦争当時の「国共合作」という歴史上の出来事。中国に進出し、戦線を拡大して支配地を広げていく日本に対し、当時争っていた蒋介石率いる中国国民党と毛沢東をリーダーとする中国共産党が、「当面の共通する敵」と戦うため手を組んだという話です。場所が中国だから、すぐにその言葉を思い出したのかもしれません。

上海の地に爪跡を残した

 試合内容はお願いします。
 それと、たしかクラブの仕切りで、メディア陣が一緒に夕食をとったのが上海じゃなかったですか?
 ほら、地下に“食材”置き場があって、生きた魚はもちろん、サソリをはじめ「さすが、飛ぶものは飛行機以外、4つ足のものはテーブル以外、何でも食べるという中国だな」と思ったあそこですよ。その話も覚えていたら書いてください。

 では、また。

 
 
 

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