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12月27日(1995年)レッズジュニアユースの前身が高円宮杯優勝、千島徹も

 1995年12月27日(水)、国立競技場で 高円宮杯第7回全日本ジュニアユースサッカー選手権(現在は高円宮JFA全日本U-15サッカー選手権)の決勝が行われ、浦和スポーツクラブが、ジェフユナイテッド市原ジュニアユースを破って、初優勝した。

 浦和スポーツクラブはサッカーを中心に活動している浦和のスポーツクラブで、当時は社会人、ユース、ジュニアユースの三部門を持ち、ユースチーム、ジュニアユースチームが、レッズの育成チームと位置づけられていた。

 Jリーグ創設時に、各クラブは育成チーム(下部組織)を持つことを義務づけられており、横浜マリノスやヴェルディ川崎は、プロ化の前から育成チームを持っていたが、新たに設立するクラブの方が多かった。レッズの場合は、地元の浦和スポーツクラブをレッズが指導することで、育成チームとして認められていた。

 とはいえ浦和スポーツクラブもJリーグ誕生を機に地元の気運が盛り上がってできた新団体であり、当初の成績は良くなかったが、1991年に全日本少年サッカー大会で3位になったFC浦和のメンバーがかなり加入したこともあり、徐々に力をつけてきて、この日の優勝となった。監督は浦和出身の辻谷浩幸さんで、現在はレッズのスカウトをしている。
 
 実は1993年に小学6年生だった千島徹を知り、小学校卒業後の進路として浦和スポーツクラブという選択肢もあるよ、とお母さんに話したことがある。それが、どこまで影響したのかは知らないが、千島は浦和スポーツクラブに加入し、この高円宮杯決勝にも中学2年生で出場していた。ほかに中学3年生の三木崇史(1998年にトップ昇格)もいた。

 ちなみに、この日は何かの試合と抱き合わせ開催ではなく、この決勝だけが行われたと記憶しているのだが、確実ではない。だが、この年の天皇杯準決勝は12月23日に終わっているので、天皇杯の前座でなかったことは確かだ。

 僕は残念ながら国立へ取材でなく、お客として行った。当時はJリーグ以外の取材をする感覚がまだなかったのだ。しかし、浦和スポーツクラブの設立にも関わっていたし、千島のジュニアユース加入にもほんの少し絡んだので、決勝進出はうれしかった。
 スタンド試合を見守ったのだが、1-0で勝ったという記録があるだけでメモも残っておらず試合内容は覚えていない。

 天皇杯は10日前に丸亀で終了しており、これが僕にとって1995年の「浦和」最後の試合だったが、優勝で締めることができた。
 てか、レッズ関連の「優勝」って、これが初めてじゃないか。

 さて、みなさんは年12月27日、何をして何を感じていましたか?
 そりゃ、年末の諸行事、諸準備で多忙だったに決まってるか。

 ちなみに、この決勝の写真は手元にない。トップの写真は千島のユース時代のものだ。

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