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7月22日(1995年) 何物にも代えがたい経験と共に1stステージが終了

 大宮伝説の締めをしたい。

 1995年7月22日(土)、浦和レッズは大宮サッカー場に横浜フリューゲルスを迎えて、Jリーグ1stステージ第26節を行い、PK戦で勝利した。前年の8月から使用していた大宮サッカー場での最後のホームゲームだった。

 3日前の水曜日、ヴェルディ川崎とアウェイで第25節を行い、敗れた。先制されて追い付き延長に突入という、これまでの“必勝パターン”だったが延長前半、Vゴールを決められたものだ。

ステージ優勝を目指した闘いは終った

 2位のヴェルディ対3位のレッズという対戦で、共にステージ優勝の可能性を残しており、延長に入る直前、首位の横浜マリノスが負けたというアナウンスがあり、双方のサポーターが大いに盛り上がった試合だった。

 レッズサポーターの誰もが、初めて優勝の可能性を感じてステージの終盤を迎えた。過去2年間、最下位またはそれに近い成績でステージを終ってきたことを考えれば、超が付く躍進と言っていい。
 同時に喪失感も味わった。
 だが、ここまで来なければ得られない感覚だということも知った。前年までの敗戦とは次元の違う悔しさだった。

 そんな思いがサポーターに共通していたのだろう。22日の横浜F戦は、10,354人という過去最多の入場者で埋まった。
 前半2点を取り合い、2-2で延長へ。スコアは動かずPK戦にもつれ込み、先蹴りのレッズが全員成功。横浜Fは2人目が外したため、5人目を待たずに5-3で決着がついた。
 延長、PK戦というフルコース。大宮伝説の締めにふさわしい展開だったし、大宮サッカー場とのなごりを惜しむかのようでもあった。

 この日、横浜Mが勝ってステージ優勝を決めた。結果としてレッズの初優勝はならなかったことになるが、それはもう、どうでも良かった。チームとサポーターが完全に一つになって闘った日々。どんな状況でも最後まであきらめなければ何かが起きる、ということを何度も実感した。何物にも代えがたいこの経験が、最高のプライズだった。

みんな笑顔で場内を一周した

 試合後の場内一周は、大宮サッカー場に感謝と惜別の情を示しながら、ステージ3位という自分たちが勝ち取った成果を確かめ合い、第2ステージ優勝を誓い合う場になった。

 さて、みなさんは1995年7月22日、何をして何を感じていましたか?

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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