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7月9日(2005年) 気持ちで実力を上回られた試合

 問題。
 次のダービーの中で、J1での通算対戦成績が最も偏っているのはどの組み合わせか。
「F東京vs東京V」「千葉vs柏」「横浜Mvs横浜F」「横浜FMvs横浜FC」「磐田vs清水」「G大阪vsC大阪」「浦和vs大宮」
 答えは最下部。

それまでは普通に「大宮戦」だった

 2005年7月9日(土)、浦和レッズは埼玉スタジアムに大宮アルディージャを迎えて
、J1リーグ第15節を行い、1-2で敗れた。Jリーグで初めてのさいたまダービーだった。
 それ以前も浦和市と大宮市という隣合った都市のクラブとして公式戦を戦う「埼玉(県)ダービー」はあった。2000年のJ2での4試合がその最たるものだ。さいたま市の誕生は2001年5月1日だが、もし1年早く2000年5月1日に誕生していたら、3月25日に行われたJ2第3節は「埼玉ダービー」で、5月22日の第14節からは「さいたまダービー」と呼ばれたことになる。ちなみに僕の感覚では「埼玉ダービー」という意識はほとんどなく、あくまで「大宮戦」だった。

 それは、ともかく2005年は大宮がJ1に昇格した年で、「同一都市間ダービー」はほかになかったので、注目度が高かった。
 これに先立つ3月26日、駒場スタジアムでナビスコ杯予選リーグのレッズ対大宮(2-1)が行われ、これは「初のさいたまダービー」と見られることもあったが、今となってはリーグ戦でのダービーがメーンであり、「初」はこの7月9日という認識だ。

 その「初ダービー」で負けた。
 前半2失点したが、どうも集中力が欠けていたとしか思えない内容で、1失点目はミスから、2失点目も相手のボールをカットしたこぼれを大宮の桜井直人に拾われて、そこからつながれ、最後は桜井に決められた。
 後半、セットプレーから田中マルクス闘莉王がヘッドで1点を返したが。89分では遅すぎた。

このときも「大宮戦」それでもいいのだが

 相手は昇格したばかりのチームであり、前哨戦となったナビスコ杯でも勝っている。ダービーという意識はまだ醸成されていない。それがレッズの意識だったと思う。
 それでいい。ダービーなどと意識しなくていいから、新参チームに負けられないぞ、という高いモチベーションがあればよかったのだ。

 大宮には間違いなく反骨心があった。初のJ1昇格で、どの試合にもあったはずのチャレンジャー精神。それがメディアに「日本で唯一のダービー」とあおられて、いつも以上に火がつき、さらには日本一の人気チームで、タイトルも獲っている浦和レッズが相手だから燃え上がらないわけがない。浦和でプロのキャリアを始めながら本番で実力を発揮できずに、チームを離れ、そのとき大宮にいる選手もいた。

 サッカーは気持ちだけで勝負が決まるものではないが、気持ちで力関係をひっくり返すことは十分ある。この試合はまさにその典型だった。

 さいたまダービーについては、ほかに言いたいことがいっぱいあるが、それはまたの機会に。
 とにかく僕は、この2005年7月9日は、さいたまダービーの初戦で負けた、というよりも、気持ちの緩さで負けた汚点として心に残っている。

ところで冒頭のクイズの答え。

 G大阪 23勝7分け13敗 C大阪
 磐 田 25勝6分け20敗 清 水
 横浜M 10勝   8敗 横浜F
 千 葉 12勝6分け10敗 柏
 横浜FM 3勝1分け2敗 横浜FC
 浦 和 9勝7分け8敗 大 宮
 F東京 6勝2分け6敗 東京V
 
 ガンバすごい。

 さて、みなさんは2005年7月9日、何をして何を感じていましたか?

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