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あの日のわたしたち ~浦和レッズ30年~ 7月編

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「あの日のわたしたち」7月編です。 数年前のその日に何があったか、清尾淳が一番印象深い試合をコラムふうに毎日投稿しました。 その日に何を考え、何をしていたか、ファン・サポーター…
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#森孝慈さん

7月31日(1993年) 大敗のあとPK勝ち、五分のスタートに希望

 Jリーグ元年。浦和レッズは最初の大会である1stステージを3勝15敗の最下位で終わった。しかも第16節には、ホームの駒場競技場で鹿島アントラーズに敗れ、相手にステージ優勝を決められる、という屈辱も味わった。  前年のナビスコカップ予選リーグ5位、天皇杯ベスト4という成績から考えれば、優勝候補とは言えなくても中位で終わってもおかしくないと思っていた。  主力として獲得した2人のアルゼンチン選手が絶不調、相次ぐ選手のケガなどが不振の直接的な要因だと思われるが、当初は専用の練習場

7月23日(2011年) あの人の力で勝てた試合だと思う

 2011年7月23日(土)、浦和レッズは埼玉スタジアムにヴァンフォーレ甲府を迎えて、J1リーグ第6節を行い、2-0で勝利した。リーグ戦の後半開始にあたる18試合目だった。この日、スタジアムの北門付近に、17日に亡くなられた森孝慈さんへの献花台が設けられていた。  森さんの告別式は、この前日22日に行われた。ご冥福を祈るほかに、いろいろ語りかけてしまったように思う。内容は全部覚えていないが、一つ記憶にあるのは、 「森さん、これからもレッズをよろしくお願いします」 「いや、

7月17日(2011年) 何とかせにゃあいかん

 筆が進まない、というのは仕事柄許されないことだ。一応、昨日の清水戦から帰宅したのが午前2時半だったから、目覚めたのが9時だった、という言い訳をしておく。だが、嬉々として書きたい日ではないことも本当だ。記録しておかなければならないことも事実だが。  2011年7月17日(日)、浦和レッズはエコパスタジアムに乗り込み、ジュビロ磐田とJ1リーグ第5節を行い、1-1で引き分けた。7月に第5節、というのは、日程が組み直された2011年だったからだ。  2011年。言うまでもなく、