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あの日のわたしたち ~浦和レッズ30年~ 7月編

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「あの日のわたしたち」7月編です。 数年前のその日に何があったか、清尾淳が一番印象深い試合をコラムふうに毎日投稿しました。 その日に何を考え、何をしていたか、ファン・サポーター…
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#小野伸二

7月31日(1993年) 大敗のあとPK勝ち、五分のスタートに希望

 Jリーグ元年。浦和レッズは最初の大会である1stステージを3勝15敗の最下位で終わった。しかも第16節には、ホームの駒場競技場で鹿島アントラーズに敗れ、相手にステージ優勝を決められる、という屈辱も味わった。  前年のナビスコカップ予選リーグ5位、天皇杯ベスト4という成績から考えれば、優勝候補とは言えなくても中位で終わってもおかしくないと思っていた。  主力として獲得した2人のアルゼンチン選手が絶不調、相次ぐ選手のケガなどが不振の直接的な要因だと思われるが、当初は専用の練習場

7月21日(2001年)浦和レッズを支えたいと思った日

小野伸二がオランダのフェイエノールトへ旅立つ直前の試合、レッズは広島ビッグアーチでサンフレッチェと戦いました。7月10日の私の記事に書いたように、その日はバックスタンドで観戦しました。 試合は永井雄一郎と田中達也というこれからレッズを背負って立つ二人の得点で勝ち、旅立ちのはなむけとなりました。 伸二が1999年に重傷を負ってから、一日も早く良くなってほしいと思い、そして怪我から復帰した後には、もっと能力を発揮するために海外移籍を願い、私はそれらの思いを何度か手紙に記し、クラ

7月14日(2001年)さよなら伸二

1998年にレッズに加入してくれた小野伸二が3年半過ごした浦和を、この日を最後に離れようとしていました。3年半前のプレシーズンマッチで伸二のプレーにすっかり魅入られた私は、伸二が1999年にけがをして以来、良くなっても浦和にとどまっていてはいけない、と思うようになっていました。 そして、フェイエノールトへの移籍が決まり、駒場で伸二を見ることのできる最後の試合。しっかり目に焼き付けておこうと、伸二しか観ていませんでした。伸二の代名詞でもある楽しくサッカーをする姿がもう駒場では