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永遠の上映会


空気に揺蕩う埃の群れを眺める。ジーッと焼き付けるような光のビームがスクリーンを照らす。その光線を辿っていくと、複数人の男女が慌ただしく右往左往している、よく分からないモノクロ映像が映し出されていた。

あの撫で肩の女の人は、たぶん赤い服だろうな。そんなふうに物語を咀嚼する。はたして物語かどうかは分からないけれど、この人達は何か目的があって動いているに違いないのだと思う。その女性がカタカタと笑うと、周囲の男性達もつられてゲラゲラと笑いだした。

スクリーンから少し目を逸らす。視界の右隅、肘置きに白い腕が横たわっている。ホルダーに差し込まれたドリンクを小さな手が軽く握っていて、か細いしなやかな指先は、少し苛立っているように見えた。

いや、苛立っているのは私の方だ。隣の女性は苛立ってなどいない。それは私の勝手な想像だ。本当はこのシアターの中で私だけが映画を退屈だと思っている。周囲の観客は皆、映画の内容を深く理解していて、良さが分かっていて、劇場を満たす一体感を全身で感じているに違いない。そこにひとつぽっかり穴が空いたように、疎外感を抱いているのはきっと私だけなんだ。

ど真ん中の席を取ってしまって申し訳ない気持ちになった。一番見易い位置なのに、スクリーンの向こう側をぼやけた視界で眺めているようだった。映画にピントがまったく合わなくて、その遠景には、昨晩テレビで観たアニメが映し出されていて、私が見たいのは本当はこっちなんだと、頭の中で苛立った私の声が囁いた。

視線を、閉じた膝に落とす。入場時に貰ったパンフレットが太腿の上で皺だらけになっていた。無意識のうちに弄っていたらしい。ヨーロッパっぽい響きのカタカナの監督の名前と、その下には「一挙上映会」と題して映画のタイトルがいくつも並べられている。

何かを分かった気になりたくて、何者かになりたくて、小難しい映画の上映会に参加した。SNSに投稿する用の、パンフレットと私が写った自撮りはもう既にポケットのスマホに保存されている。それらしい感想文と写真を載せて送信すれば、それは実績になる。不特定多数にそんなものを誇示して何になるんだろう。虚しさはいつも私のすぐ傍に居た。

「大丈夫ですよ、お嬢さん」

後ろから声が降ってきた。沈んだ意識ごと掴まれて現実に引き戻されたみたいに、瞳の被写界深度が急速に深くなる。陽気な劇伴が間抜けな私を、悪い意味で囃し立てる。

「振り向かないで、そのまま聞いてくださいな」

そう言った嗄れた声にはそれでも芯があって不思議な感覚だった。声が空間ごと私を包み込むかのような温かさがあった。

次の瞬間、音と映像と、空気が止まった。真空状態になった劇場に私の鼓動の重低音が響く。まるで大きな生命体になったように、その場がギュッと凝縮して私のモノになったみたいだった。針のように細くて鋭利な耳鳴りが脳内に響く。さっきまでうるさかった陽気な劇伴が重なってうねるように鳴る。

「これは...なんですか」

空気を振動させない私の声が行き場を失う。それでも嗄れた声の主には届いているようだった。

「これは、永遠を知る機会です」

機械、ではなくて機会だろうか。声の主は私に何かしらの機会を提供してくれるらしい。この異常事態で、妙に冷静な私自身がなんだか可笑しい。初めてのアトラクションに乗ったような高揚感と、僅かな不安感で、次に出す声のトーンが上手く定まらない。私は借り物の声帯を震わすように、慎重に声を絞り出した。

「永遠を知る?...もう少し分かりやすくお願いします」

「言葉の通りですよ、お嬢さん。永遠を知るんです。その覚悟が、もしあるのなら」

声が挑発的な色に変化した。彼の口元がほくそ笑んでいるのは見えなくても分かる。私を試すような態度だ。まるで汚れた大人が無垢な子供を嘲笑うかのような。

しばらく沈黙が続いた。耳鳴りがフェードアウトする。「まわりのみなさんも全員参加するそうですよ」と、後ろから急かすような声がした。

「わかりました、お願いします」

私はどこか意地になってそう返した。どいつもこいつも私を馬鹿にする。そんなこと無いのは分かっていても、地面の裏側に私だけ逆さまに歩いているような気がしてしまう。いっその事こんな思考回路ごと捨ててやりたい。だから、意地になった。永遠を知るなんて、どうせろくでもない、下らないことだと思った。

でも、私はこの後永遠を知ることになった。


時が動き出して加速を始めた後はあっという間に私の身体が乾涸びていった。急速に老いていく感覚が手に取るように分かった。周りの観客たちもいつの間にか皺だらけのミイラになっていて、次の瞬きの後には骨になった。

「これで、やっと作品の完成です」

嗄れた声はいつの間にか私の脳内で鳴っていた。

「作品?」

徐々に薄れて行く意識で問いかける。

「ええ、『永遠の上映会』です」

頭の中の声は満足そうに言った。

スクリーンに映るモノクロの男女が、愉快そうに肩を揺らしている。隣の女性の、か細いしなやかな骨になった指が、いつまでも続くであろう永遠に苛立ちを隠せないようだった。

私はそこで、初めて一体感を覚えた。これでよかったんだと思った。笑いたかったけれど、表情を作るパーツはもう無くなっていた。

映画は赤い服の女性を大きく映し出した。彼女は私をじっと見つめる。口元だけが笑っていて、憂いを帯びた漆黒の瞳が突き刺してくる。

そのブラックホールに吸い込まれるように、やがて意識はぷつりと途切れた。



○月○日

M県S市にあるミニシアター〇〇で、劇場の座席を埋め尽くす大量の白骨遺体が発見された。S署は、ミニシアターのオーナーである××(六十歳)を、事件に関与した疑いがあるとして身柄を拘束し、聴取を進めている。


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