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​侠名轟く/町田康

【第27話】「海道一の親分」として明治初期に名をはせた侠客、清水次郎長。その養子であった禅僧・天田愚庵による名作『東海遊侠伝』が、町田版痛快コメディ(ときどきBL)として、現代に蘇る!! 月一回更新。
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 居丈高に上から言っても駄目、衆を恃んで銃で脅しても駄目、下手に出て土下座しても駄目。
「なにがなんでも壱百八拾両、耳を揃えて返《けえ》せ」
 と言って譲らぬ次郞長に万策尽き果てた何左衛門、横を向いて暫く考えていたが、やがてさばさばした口調で言った。
「わかった。じゃあ、返そう」
「おー、そうか。じゃ、返せ」
「ただし、ここじゃ返せない。高木まで付き合ってくれ」
「高木」
 とそう問い返したとき、次郞長は既にピンと来ていた。
 高木というのは何左衛門屋敷がある堀切から二里許《ばかり》行った処だが、ここには友吉というやくざ者が居て、何左衛門と付き合いが深い。何左衛門はこの友吉の勢威によって俺に圧力をかけ、借金を負けさせようと企んでいやがるのだろう。
 それがわかりながら、しかし腹に答えがある次郞長は言った。
「あー、いいってことよ。高木でも何処でも行こうじゃねぇか」
 そう言って着物を着た次郞長と鶴吉と何左衛門は表へ出た。
 表には先ほど毒気にあてられて表に出た村の連中が屯していた。その者に何左衛門は、
「あー、皆の衆、ご苦労様。これから高木まで行くことになった」
 と言い、鶴吉は、
「さー、そう云うこった。さ、見世物じゃねぇんだぜ、散った、散った」
 と言った。なので群衆が、
「あー、そうか。話はついたのか。よかったな。じゃあ、家に帰ろう。帰って稼業に精を出して働こう。それが家族の幸福、国家の繁栄に繋がる」
 と言い、三々五々、家に帰っていったかというと、そんなことはけっしてなかった。

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