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自己責任を果たせなかった話。

 「自分の居場所は自分で作れ。」

 誰かのTwitterで見かけた言葉だったと思う。その通りだと思った。自分のための場所は、自分で確保する。自分が存在する理由を、自分で作る。生きていくために、当たり前のこと。

 私は、大学で、友だちがほしかった。
 いっしょにお昼ごはんを食べたり、いっしょに授業をうけたりして、飲みに行けるような友だちがほしかった。いろんなこと、寝坊して駅まで走ったことや、夕方の空がきれいなことや、ときどきしんどくなること、でも本や音楽がそのつどあらわれてくれて、こんなすてきでうつくしいものがあるんならもうすこし生きようと思えることなんかを、話したかったし、誰かのなにげない話や、うーんと考えこんでしまうような話を、いっぱい聞きたかった。ここまで生きてきて、今を生きていて、これからも生きる誰かと、話をしたかった。

 だから、話しかけたし、お昼ごはんも誘った。逆に誘われたこともある。話した。沈黙は気まずかったけど、ふつうに話せた、と思う。初対面同士なんてこんなもんだよねという感じだった。またね、と別れて、でも、その後はもう、なかった。

 まあそんなもんかあ、次に行こう次!!と思っていたら、何だか周りの人たちが急激に仲良くなっているように見えた。あれ?みんなは”うまく”行ってるの??私はだめだったのに???そう思って足踏みしているうちに、みんなはもっと仲良くなって、私はもっとひとりになった。

 ひとりのはじまりだった。

 気軽に「お隣いい?」と聞けなくなった。聞いたその子は、もうすでに、「隣に座る約束をしてる人」がいるかもしれない。
 気軽にお昼を誘えなくなった。誘ったその子は、もうすでに「お昼ごはんをいっしょに食べる人」がいるかもしれない。

 怖い。

 もうみんな先に行ってしまった。私は置いていかれた。空いている席を探してひとり、うろうろする。ごはんを食べられる場所を求めてひとり、うろうろする。たのしそうに話しながら、ごはんを食べている女の子たちばかりが目に入って、その声が痛い。

 どうして?どうして?どうして?

 どうして私には、そういう子がいないの?

 
 そうやって、私は、ここまで来てしまった。
 入学後2年7ヵ月、私は、大学に、友だちが、いない。
 授業はひとりで受けている。
 お昼は人がこない場所(でも座れる)を発見した。
 休憩、と思って、トイレでおやつを食べることもある。
 めいっぱいまで授業は休むので、成績はほんとうにひどい。
 ひとりだし休むしモチベもない。
 大学は心底嫌いになった。

 友だちがほしかった。
 居場所がほしかった。


 自分の居場所を自分で作れなかった。
 私に居場所がないのは、だから、きっと当然のこと。


 


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