わたしの人生にわたしがいない①
いつからだろうか。わたしの人生なのにもかかわらず、どこか他人事のように生きてしまい、わたしの人生にわたしが不在にしているなんて。
このような違和感が拭えなくなったのは、一体いつからだろう。
そんなことも思い出せないくらいそう感じている期間が長くなった社会人生活。
初めましての方もいると思うので、軽く自己紹介を。
新卒から大手金融機関に勤めており、現在10年目。
就職ランキングでも常に上位に食い込み誰もが知っていて、そして、志望者数も多く、一般的にはブランド企業と呼ばれている会社だ。
だからどうってわけではなく、世間の評価がいいと考えている会社に勤めているけど、実際働いている本人の満足度は高くないから、やっぱり働いてみないとわかんないよねっていうことを声を大にして言いたいのである。
この会社に入ったのは、やりたいことなんてなく、ただ単に働きやすそうだし、ほんとなんとなくだったのだ。明確な理由なんてない。そんな風に入社した、一見不幸に見えるけど、実は大切なものに気づいていく女の物語を綴っていこうと思う。
「事案はね、パンみたいに寝かせてもよくならないんだよ!!!!!!!!」
当時、私の仕事はクレーム対応。ミスは絶対許されない。いかに、わかりやすく、そして相手の心情を慮りながら解決に持っていけるか、それが全てだ。1年目に、自分の直属の上司にマジギレされて言われたのがこの言葉だった。今でも忘れられない。
その上司は誰もが怖がる人で、当時怖すぎてうまく話せないため、一字一句メモに残してそれを不自然にも読みながら相談していたことを思い出す。
なんでわたしこんな仕事をしているんだろう。
毎日自分のよかったところ、改善が必要なところをノートに書き出しながら電車に乗で帰っていた自分がかわいくもある。
しかし、朝は悪夢だ。今日も電話越しの誰かに怒られるのかな、上司にうまく話せるのかな、支払いできると回答した件違ってたらどうしよう、そう思っていたら会社への足取りが重たくなり、しまいには駅の階段から足を踏み外せば、入院できる。そうなれば会社に行かなくてもよくなるというイメトレをいつもやっていたくらい会社に行くことが心底嫌だった。
それから月日が経ち、8年目になった。
まだ私は同じ仕事をしていた。お昼の同僚たちとの会話は、
「仕事嫌だよね、また月曜になった。早く週末にならないかな」だったり、仕事の話。プライベートな話題だと、彼氏の愚痴ばっかり。
何でこんな面白くない会話しているんだろう。もっと明るい話題話したいのに・・・
しかも、仕事はますます繁忙度と難易度が増し、しまいには頭が噴火しそうになることが何度も続き、ついに自分の糸が切れた。
プッツンって。
嘘だと思われるかもしれないけど、今まで何とか頑張らなきゃ、やならきゃっていうものが全て消失したのだ。
こんなにやりたくない仕事はしたくない!
だけど、このやりたくない仕事を選んでたのは自分だったんだ・・・
糸が切れたことで、自分の大切にしたいものを大切にするために、思考の枠が外れて、コピーライティングの勉強をすることになったきっかけを第2章でお伝えします。
お読みいただきありがとうございました。
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