広告の載せかたで信頼度が変わる?

広告主にとっての広告の分類のしかた、第2弾です。

世の中には広告があふれています。そのため広告されていることをそのまま文字通りに受け取ってくれないこともしばしばあります。

「内側から輝く美肌に」のようなコピーを半信半疑で見ることもあるでしょう。「この講座で変わりました」のような体験談をやらせと見るかもしれません。

この情報は信頼してもいいのかと判断するときに、人は情報の内容だけでなく出所も参考にするからです。

そのため、同じ広告でもどこにどんなふうに載っているかで、広告に対する信頼感が変わります。広告主にとって、信頼感が与えられるかどうかは広告の効果を大きく左右する重要な要素です。

そうした視点から、広告は大まかに2つの分類することができます。純広告と記事広告です。

純広告は「純」粋な広告で、見るからに広告です。一方、記事広告は記事をよそおった広告です。また、似て非なるものとしてPRもあります。


大まかな理解としては表の下にいくほど広告の内容が信頼されやすく、上にいくほど広告の宣伝度合いが増すと考えてください。

なぜ信頼されやすくなるのか。

それは「誰がいうか」が違うからです。

記事広告は広告ではない特集企画や編集記事に並べて、その続きであるかのように商品をとりあげた記事を掲載します。
つまり、見ている人にとっては、その商品を説明しているのは「媒体」という認識です。気付く人は気付くかもしれませんが、よっぽど注意深い人でもなければ記事の一部だと思われているでしょう。

一方、純広告はどう見ても広告なので、見ている人は、その商品を説明しているのは「広告主」だと捉えます。「自社のことなら良く言うに決まってるよね」という目で見るでしょう。

では、いつでも何でも記事広告の方がいいかというと、そうとも限りません。

まずは商品の存在を知ってもらいたい、インパクトを与えて強烈な印象を残したいというのであれば、純広告の方が適しています。
なぜなら、記事広告はじっくり読まないといけないからです。

では、信頼度だけでどちらにするのかを判断してよいのでしょうか。情報の送り手としては他にもうひとつ抑えておきたいポイントがもう一つあります。

それは「広告記事が誰のものか」という問題です。
主導権を誰が握るかと言い換えてもよいかもしれません。

純広告は広告主が広告原稿を用意して、媒体はスペースを貸すだけです。一方、記事広告は媒体側が広告記事を用意します。そのため、媒体と広告主が協力して記事をつくるという意味で「タイアップ広告」とも呼ばれます。

記事をよそおうには、ほかの記事とのバランスが重要です。つまり、他との兼ね合いによっては広告主の思い通りにはならない場合もあります。媒体にはそれぞれ自社の方針があるので、当然のことです。

つまり、純広告と記事広告を選ぶ場合には広告に載る情報をどれだけ信頼してもらえるかと、その情報をどれだけコントロールできるかを天秤にかけているということになります。

よくよく考えれば当然のことです。
自分で好き勝手なことを言えるなら、いいことしか言わないに決まってる。でも、第三者が言うなら信用できる。誰だってそう思いますよね。

口コミだとか利用者の声だとかいったものが説得力をもつのも同じ理屈です。表の最下段にあげたPRもそう。PRの場合、記者や編集者に情報を発信して記事にとりあげてもらえるように働きかけますが、それを記事にするかどうかは記者や編集者が判断します。掲載されるかどうかが不確実な分、第三者がお金をもらわずに評価していることなので信頼性は高まるというわけです。

そうと知ってみてみると、世の中にはかなりの数の記事広告があふれていることに気付くはずです。ぜひ身近な広告を消費者目線で見てみてください。見えかたによって印象が違うことが腑に落ちると思います。





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