広告は善でも悪でもない

そもそも広告って何のためにするのでしょうか。

それは、商品を買ってもらうためです。

イメージアップなどのブランド広告も最終的な目的はやはり商品を買ってもらうことです。

広告や宣伝というと、それだけで「中身がないのに売りつけようとする」「頼んでもないのに押し付ける」「その分、安くすればいいのに」など、ネガティブなイメージがあります。

実際、広告を受け取る消費者の立場に立つと、毎日とんでもない量の広告にさらされて、もうウンザリと感じるのは無理もないことです。

そのように迷惑がられる一方で、一部の広告の世界の人たちの間では、もっと高尚なアートのように考えている人もいます。

洗練された最先端の広告表現は分かる人にしか分からない、海外の広告賞を受賞することは最大の勲章、人の心を打つ広告作品をつくりたい…

確かに、人の心を動かすような、時代を変えるような広告もあります。

なのですが、広告は存在自体が迷惑な「悪」でもなければ、すべての企業がつくるべき「善」でもないと私は思います。


そもそも何のために広告をするのか。

繰り返しますが、商品を買ってもらうためです。

もっと細かくいうと、商品の存在を気付かせ、それを他の商品と識別させ、そして、それを記憶させて検討させ、選択して買わせることです。

使役の「させ」を使うと、消費者に売りつけているように感じられるかもしれませんが、こんなことだってあるはずです。

ある商品を試してみたら、ずっと悩んでいたことが解決した。その商品を知ったきっかけは広告だった。

これは広告主にとって広告効果がうまれた瞬間です。広告がなければあがらなかった売上です。


ここで、改めて、広告の役割を考えてみます。

とてもアバウトな図ですが、世の中の人すべてを100%とします。

そのなかに「既に買ってくれている人」が一定の割合います。
そして「何があっても買わない人」がいます。たとえば、商品がひげ剃りだったら女性とか、アウトドア用品ならインドア派の人とか。

このうち「何があっても買わない人」に無理に買わせようとするのは労力の無駄ですし、売りつけられる人も迷惑です。

企業が広告をして売上を伸ばすためには、そのどちらでもない「条件が整えば買ってくれる人」に照準を当てることになります。

「条件が整えば買ってくれる人」のなかにもさらに色々な人がいます。

高くて買えない人には、広告よりは値下げや送料サービスなどで対応することになるでしょう。失敗が不安で買えない人には、保証サービスやお試しサービスが必要かもしれません。

では、広告はどんな条件が整っていない人のためにするのでしょうか。

それは、商品について知らないことが原因で購入に至っていない人です。

その商品のことをもし知っていたら…
もしその商品が良いと分かっていたら…
その商品に良いイメージを持っていたら…
もしその商品の使いかたを知っていたら…
その商品を買うメリットを認識していたら…

買うかもしれない人。

広告の役割は、その人たちに、ブランド名や商品の特徴、利用価値など、買うにあたって参考になる情報を提供し、「既に買ってくれている人」に変えていくことではないでしょうか。


広告の目的は商品を買ってもらうこと、広告の役割は商品についての情報を提供すること。それ以上でもそれ以下でもなく、広告自体は善でも悪でもない。
私はそう考えます。


このマガジンには、周りの人があえて説明しないかもしれないけれど、広告担当者として最初に知っておきたかったことをまとめています。

広告の目的と役割がなぜ、それに当たるかというと、過去に広告宣伝を担当していた頃、自分の仕事が何の役にたつのだろうと迷ったことがあったからです。

いろいろ経験してたどり着いた答えがこれでした。

私が商品の良さを正しく伝えて、それがきちんと伝われば、広告がきっかけで良い商品に巡り合える人がいるかもしれない。ひとりでも、そんな人がいれば私の仕事にも意味があるんじゃないかなと。



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