努力とは最高の一瞬を目指すことだと思う
こんにちは、さゆりです。
現在キャラバン企画中で、現在地は京都の藤井大丸。
ブランドの経営者でもあり、CLOSETtoCLOSETの店長でもある私は、
お仕事をしているといろんな大人のひとと会う機会がある
自分のビジネスのジャンル的にも、女性経営者という属性的にも
やっぱり大人から舐められる機会は本当に多い。
(ここでの”大人”とは日常的にお仕事をしている人のことを指します)
ジャンルとか年齢とかジェンダーとかそんなくだらんことで色々決めつけられてしまったり、バイアスがかかってしまうことへの不満ならみんな感じていることだと思うのでわざわざいう必要ないから省きますが
そんな中で
私がやっていることへ、リスペクトや想像力を持って接してくれる大人とそうでない大人がいて、そんな人たちから日々いろんな言葉を浴びる毎日で、言葉が苦手でアホな私はその言葉にいちいち一喜一憂しているわけですが
どっちかというと、後者のそうではない大人の方が多いしそういう人の声はでかいから苦しいことの方が多いわけで
そんな苦しいのになんで毎日努力がやめられないのかというと
100人に一人は絶対に、前者のリスペクトのある言葉をかけてくれる人が現れて、一言かもしれないけど、その言葉が聞けることが本当に嬉しいからである。
私が毎日やっていることが、”努力”と呼べるのならばの話だけど
努力してるひとって、絶対に味わいたい一瞬をもっているんじゃないかと気づいたんだよね。
オリンピック選手とかも、優勝が決まるあの瞬間のために死ぬほど努力してるし、研究者とかも発明できるその瞬間のために毎日死ぬほど地道なことやってると思うし、お医者さんとか芸術家とかそういう肩書きない人でもみんな努力してるひとってその先の未来ではなく、達成するその一瞬のために人生かけてるなって思う。
ここで、
オリンピック優勝したらその先裕福で名誉のある人生が送れるからそのためじゃないの?研究者が発明したらその先の時代がもっと豊かになるからそこめざしてるんじゃないの?って思ってしまった人がいたら、
私は、それは多分綺麗事でそんなことはないと思っています
もちろんいい未来が待っていることについてはそれはそうなんだけど、ある一定の努力の域を超えると
やってる当本人はそんなことより、達成するその瞬間のことだけを考えて努力してるんじゃないかと思います。
私がやってることって、アパレル業界の廃棄が少しでも減ったり、環境負荷の少ないお洋服選びができたり、ファッションでジェンダーの壁がなくなったりみたいなSDGs目標のようなことも達成できるビジネスだとは思うんだけど(もちろんそこも設計の前提にはあった)
私はSDGsのために、お洋服が捨てられないために
毎日努力しているのはない。
努力してたら100人にひとりの味方や仲間に会えて、
味方になってくれた人や仲間になってくれた人とコミュニケーションがとれるその瞬間が、
なににも変えられない最高に幸せな瞬間で、その瞬間を迎えることが好きすぎてやめられないから努力をし続けられているのだ。
100人目でやっと出会えた味方でも、次にいつ会えるかなんてわからないし、明日になったらわたしのことなんて忘れているかもしれない。
それでもいい。それでもその瞬間を迎え続けたい。
その人たちとまた会える可能性があるのであれば、そのためにわたしはわたしにできることをやりづつけようと思う。
今回も読んでくれてありがとう。
sayuri.