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長崎編: 日本二十六聖人記念館
ここにしかない貴重なものが色々展示してありとても良かったです。
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1546年、ポルトガル王ジョアン3世に宛てたザビエル直筆の手紙。
他にもザビエルやロヨラなどイエズス会関連の展示がたくさんありました
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この大きい物体は・・・
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南蛮屏風でよく見る大きい南蛮傘。はじの方、よく見ると、朝鮮出兵中のキリシタン大名たち-小西行長や有馬晴信らが描かれているようです。江戸時代にマカオでつくられたと考えられているそう。
それから殉教者の南蛮帽子も。まさに南蛮屏風の世界そのまま。
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そして目玉の一つでもある(?)
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天正少年使節、中浦ジュリアン直筆の手紙。
潜伏中に、口の津(南島原)からローマに宛てた手紙で、
ポルトガル語で書かれています。最後に書かれた日付に「今日は1621年9月21日」
「私がヨーロッパ滞在中に彼らから受けた愛に満ちた恵みの思い出を新たにし、私の楽しみとなぐさめは少なくありませんでした。」
「私たちには一日も一時も休むことができないくらいです。ちょうど今も、神父様へのこの手紙を終ろうとしているとき信者が来て、もっと安全な所に逃れるようにと知らせました。」
「神様が、私たちに忍耐と勇気をお与えになるよう祈っています」
2階の奥の部屋は殉教者の遺骨など
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15世紀スペインで使われていた聖歌集。記念館の初代館長でキリシタン史研究家の結城了悟氏(←スペイン出身で日本に帰化)の故郷の修道院から譲り受けたそうです。なんと貴重な。かなり巨大な楽譜で、1ページ77cmx59cmだそう。これならパワポなくても皆からよく見える。シスターたちの手書きの絵も素敵ですね。他にも貴重な古い聖歌集がいくつかありました。
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修道者たちが交互に歌ったそう。
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古地図などもあります。
ガラシャのモラハラ夫、細川忠興の書状もありました。高山右近が日本を発つ前に細川忠興に書いた書状も1階にあった
![](https://assets.st-note.com/img/1656737458476-A6oLPyq4KV.jpg?width=1200)
ところで壁はザビエルや細川ガラシャたちの絵をもとにしたステンドグラスがあります。2階からだとよく見えます
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南蛮屏風に描かれている、コンタツをもった老人。初代館長は、盲目で琵琶法師の日本人修道士、ロレンソ了斎ではないかと言っています。キリシタンになった千利休では?という説もあります。ちなみに千利休がキリシタンだった記録は今のところないです
入場料500円でかなり見応えあるのでぜひ。
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