長崎県大村 16世紀をめぐる旅 大村純忠編
日本で最初のキリシタン大名になった大村純忠ゆかりの地をまわってみました。
前回ミライon図書館(大村市歴史資料館)へいったので今回はいきませんでした。時間あったらまたいきたかったけど・・
天正遣欧少年使節の像
空港そばの森園公園にある少年使節の像。純忠は天正少年使節を送った一人。ここガラスの浜辺は「長崎県が大村湾の水質改善のため、廃ガラス再生砂を用いて造成した浅場」らしいです。飛行機の発着も見えるし大村湾がとても美しい。夕焼けの時にもきてみたい
〒856-0815 長崎県大村市森園町 公園に駐車場あり
三城城跡
純忠の居城へ。土塁とか空堀だけで、残念ながら今ここには何も残っていません。発掘調査の時は鉄砲の玉など色々みつかったそうです。石碑はまがってたり、純忠は熱心なキリシタンなのに、神社や供養塔など建っています笑
「三城七騎篭り」の場所でもあります。純忠は、兄弟や親族から命を狙われ包囲されますが、その時、城には七人の家臣と女性たちしかいませんでした。日本人の老修道士は、純忠に自害せず最後までキリシタンとして果てるようにと伝え、純忠も「そのとおりだ。明日生きてるかわからないから、別れのしるしにコンタツを交換しよう」といったといいます。親族にも見放され絶体絶命の純忠でしたが、忠実なキリシタンの家臣たちが城に戻ってきて奇跡的に危機を脱します。
二の丸跡
google mapの三城城跡は少し違うところなので迷ってしまいましたが二の丸へ
城から見える景色は当時もこんなかんじだったんでしょうか。
〒856-0031 長崎県大村市三城町1248
大村 マリナ伊奈姫の墓
純忠の長女のお墓。(純忠伝には、マリナ姫が純忠の長女かはわからない、とありましたが後から長女ということがわかったのだろうか)純忠の娘たちは父親の信仰を受け継ぎ、迫害の中でも棄教を拒み神父を匿います。戦国の女性といえば、浅井三姉妹や細川ガラシャといった人たちが有名ですが、私は強い信念を持って生きた大村のお姫様たちも大好きです
すぐそばには「妻子別れの墓」があります。ここは、大村藩の処刑場の入り口だったそうで、連行される信者たちが最後に家族と別れをつげる場所といわれているそうです。今回は行きませんでしたが大村は殉教地の多い場所でもあります
ところで長崎のお墓って文字が金色だし造花が飾ってあって華やかですね。
〒856-0828 長崎県大村市杭出津3丁目
純忠終焉の地 大村純忠史跡公園 坂口館跡
純忠が最後の場所を過ごしたところへ。病気になった純忠はここで療養し信仰生活を送って亡くなりました
門をくぐった横に、泉があります。ここだけ雰囲気が違う!マイナスイオン的な?どんな干ばつのときも水が絶えることがないと言われていた、館(たち)の川。綺麗な水は今でも残っていて、岩は当時のものでしょうか。波乱万丈の人生をここで終えた純忠。お墓はわかっていません。純忠が亡くなった後、ルセナ神父がここにうつって教会も建てたそうですが、放火されて坂口館は消失。
発掘調査では、南蛮貿易でもたらされたと思われる珍しい陶磁器の破片が出土したそうです。
他:純忠ゆかりの地
長崎港
https://note.com/sayuri95/n/nb01a8218905e
大村市歴史資料館 純忠の書状もあります
島原:純忠の生まれた場所 日野江城
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?