この指が折れればよかったのに

ゴールデンウィーク、ここは私にとって鬼門である。
仕事をしていたときから、ようやく連休でゆっくりできると思った矢先に、いろいろなことが起こった。

あるときは、マンションの部屋のガス漏れ警報器が鳴りだし一晩中止まらず眠れない夜を過ごす羽目になった。この部屋はふだん居住しているのとは別に、私の父が死んで一人暮らしになった母を呼ぶために同じマンション内で購入した別の部屋で、その母も死んでしまってからは専ら私とつれあいの趣味のための部屋兼物置として使っている。このときは、実際にはガス漏れではなく(母の死後、ガスは閉栓していた)、普段使っていなかった風呂や洗面所の排水管の封水がなくなったために下から上がってきた臭気のせいだった。翌朝来てくれた業者さんから、封水がなくなると臭気だけでなく虫まで上がってくることがあると聞き、以後は週に二回、風呂、洗面所、洗濯機横、トイレ、台所とすべての水栓をひねって封水を切らさないようにしている。

またあるときは、連休にはまず何処へ行って、次はここへ行って、と早くから計画を立てて楽しみにしていたら、初日に買い物に出かけた直後につれあいが熱を出し、思いのほか回復に時間がかかったため、結局その初日の買い物だけで連休が終わってしまった。ゴールデンウィーク最終日、明日から仕事というときに合わせたように体調が回復し、随分つれあいは悔しがっていたものだ。

そして、母が亡くなる前、数年にわたり何度か入退院を繰り返したが、連休前に退院して連休中に具合が悪くなり、また入院ということもあったし、その翌年には五月四日に救急搬送、入院して結局その十日後に亡くなった。

そして今年である。
これまでは、何でこんな時にこんなことになるのと恨みがましい気持ちを抱いたことが全くないわけでもなかったが、今回は百パーセント私が悪く、今は自己嫌悪と申し訳なさ以外の気持ちを全く持てない状態である。
五十路の大人が、物に当たって、しかもそれを壊したのである。

母の死後、四年ほど前だったか、私は三十七年ぶりにピアノ教室に通い始めた。
結婚して二、三年たったころに誕生祝としてつれあいが買ってくれた電子ピアノがあったが、ろくに弾きもせず放置してあった。久しぶりに鍵盤カバーを外して電源を入れ、キーを押してみると、何の故障もなく綺麗な音が鳴った。それを使って、私はまた学習し始めたのである。

子どもの頃、十年習ってピアノを辞めたのは、怠け者の私が練習もろくにせず教室に行って先生にお叱りを受けることが増えて嫌になったからである。
指使いをおろそかにしたのでうまく弾けなくて嫌になったということもある。
とにかくそんな「前歴」があるので、今度こそは指使いの練習をきっちりし、できるまで頑張ろうと決めた。先生も大人相手なので叱ったりすることもなく、何か褒めるところを探しながら優しく教えて下さっている。
長くやるうちには好きな曲もあればさほどでもない曲もあり、すらすらと弾けるようになる曲もあればいつまでたっても苦手な曲もある。
ようやく弾けるようになって、先生から〇をもらうと、こんな歳になっても嬉しいし、もっと難しい曲も弾けるようになりたいと思う。

それでも、どうしても弾けないとき、つい癇癪を起して鍵盤をバーンと叩くことがあった。何回も練習しているのに何で弾けないのという情けなさと、容赦なく出る”間違った音”に対するイライラを、コントロールできなくなるのだ。
この月日のうち、何度そんなことがあったろうか。それでもピアノはまた私の下手な運指に耐えて音を出し続けてくれた。

そして今日。
ついに私は電子ピアノを壊した。
中級程度の、私にとっては難曲。『愉快な鍛冶屋』に、一か月以上悪戦苦闘していた。
間違ったところをやり直す。余計間違える。それまで弾けていたところまで間違える。指がこんがらがって動かない。変な鍵盤を押す。変な音が鳴る。何で? 何で弾けないの? 右手と左手が全く思い通りにならない。何なのこの指は!

バーン! バーン! バーン!

鍵盤を叩くというよりも、忌まわしい自分の指を叩きつけたという方が近いのだけど、傷ついたのはキーだった。
F♯の黒鍵が、へこんで上がらなくなった。
自分の下手さに対して怒り狂っていた私は一気に我に返った。

可哀想に。
何年も放置していたのに、昨日別れた友のように私を受け入れ、綺麗な音を出してくれたピアノ。
どんなに癇癪を起こしてもじっと耐えて、毎日同じコンディションで私を迎えてくれたピアノ。
そして今、傷つきながらも、押すと懸命に儚げなF♯の音を出そうとしてくれるピアノ。

愚かな私。物に当たるなんて最低だと頭ではわかっていたのに。
下手な私が悪いのに。
この指が折れればよかったのに。
自分で自分の指を、手を、腕を叩いた。でも折れるどころか傷一つできない。しぶとい私。弱虫な私。本当にダメージが残るほど叩いていないということだ。卑怯な私。ピアノにはあんなに痛い思いをさせたのに。

私は十五年来の大切な友をこの手もて傷つけたのだ。あんなに忠実に私の下手くそな運指を受け止めてくれた友を。
どんなに謝っても謝りきれない。

すがる思いで修理の問い合わせをしたが、回答は連休が明けてからになるそうだ。
ただ、製造から十年以上も経っていると、修理不可の可能性が高い、とも言われた。後継機種で共通の部品が使われていれば何とかなるかもしれないとのこと。
たとえ修理不可でも、買い替えようなんて思えない。
大切な友だから・・・・・・そう思うなら、何であんなことをしたのか。
本当に愚かな私のバカ。
何度でも思う。私のこの指が折れればよかったのに。

今年のゴールデンウィークは自己嫌悪の中で過ごすことになった。
つれあいと、ピアノへの申し訳なさに打ちひしがれながら。






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