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私は稼ぐ手立てを失った。


実は私、たった昨日の昨日まで、
私はブログが書けなくなっていました。


ブログ、メルマガ、
文章を書くことは得意なはずだし
私にとっては、それが一種の仕事であり
お金を産むツールでもあるんだよね。

だけど、どんどんと、書くことができなくなり
ついには書くこと自体を放棄していました。

書きたいことなんも
伝えたいことも
何にもなくなって、
自分の中から、何のエネルギーも湧き上がってこなくなったんだよね。


湧き上がってこなくなったということは
私にとって「稼ぐ手立てを失った。」ということでもある。

だけど、そこにはなぜか焦りも不安も感じていなくて

ある意味、書くことが私の中のライフワークから
外れたことで、若干の清々しさすら感じていた。


だけど、私はたった今こうやって
再び、書くフィールドを変えて
文章を書いているのだ。


そして、なぜ、書けなくなっていたのか?

そしてまた書けるようなったのか?


去年の夏どころか、その以前からずーっとずーっと
その違和感を感じ続けていたんだよね。

それは自分でもわかっていたし
違うと思っていた。

けど、それでも止めることができなくなったんだよね。
その原因は何なのか?っていうと


誰かのために文章を書き出してからなんだ。


じゃぁ、その誰かは誰なんだ?と言うと
見えないお客さんに対してなんだよね。

つまりは、自分のために書いていた文章から
→誰かに何かを買ってもらうための文章
というベクトルに向いてから、だんだんと書けなくなっていったの。

いったんずれたベクトルは、自力で元に戻すことすら難しくて
その違和感を感じ続けたまま私は文章を書き続けた。


そして、私の中から湧き上がっていたものは
だんだんとすり減り、ついには枯渇しきっていた。

だけどね、先日、クライアントさんと
セッションをしていた時
鳥肌がたって、異常な高揚感を感じている自分と再会した。

まさに、私すらも自我から解放されていた瞬間だった。

そう、私は知りたかったのは「真理」だった。

いつだって、私が知りたかったのは「真理」だったんだ。


その真理に触れた時に、
私は、忘れていた記憶を取り戻した。

まさに、私がこれまでに書き綴ってい物は
誰かに何かをよく思われるための「自我」そのもの。

それをやめよう!と思った。

そうしたら、今までしばらく、射抜けなかった
自分の中のど真ん中を射抜けるようになったんだ。


今なら書ける。
そう思って、真夜中の暗闇で
オレンジ色の光だけが、私の手元を照らす中で
書き連ねた。


私は、コレを誰かに向けて書いているわけではない。
だけど、誰かに見つけて欲しい。

そんな思いで、書いている。

私が私に戻った時
湧き上がって来るものをすぐに感じた。

自我から真我に軸が戻れば
目の前の問題なんて消え失せてしまう。

そんな経験をして、改めて私は、お金のためではなく、
真理に触れたい!という自分のために
ここで自分を表現していきたいと思っている。


稼ぐことにシフトをすると
真我からずれてしまう。

真我からずれた自分は、自我
自我のビジネスは苦しみを産むでしょう。

コレからの時代、
真我のビジネスでなければ成り立ちはしないことを

あなたにも伝えたい


sayuri











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