人の目が気になる、その真意を考えた
「人の目」を気にしてないと思っていた。
離婚後、人からどう思われているかとても気にする自分がいた。離婚後だから?と思ったが、実は前からそうで、気がつかないフリをしていたことがわかった。大きな発見だった。
元夫はいいダンナさんと言われていたので、奥さんは自由にしてたから、離婚されても仕方ないと陰口を叩かれるのかな、
元夫をこの頃見かけないとご近所は思っているのだろうか、とか、次から次へと思い浮かぶ。人に会いたくなかった。コロナ禍で助かった。
職場では元夫の納税証明の提出を求められ、離婚したことを告げることになる。
個人情報を取り扱う人々は、そんなことはしないが、あんな人じゃ別れられても仕方ないよね、と思われるのか、とか、ちなみにそう言われるようなひどいことはしていないが、そんな気持ちになった。
体調不良で休むこともあり、近い人々に事実を告げたが、この人こうるさいからね、と言われてないか、とか
被害妄想がひどすぎだ。心療内科に行った。落ち着く薬は楽になった。でも、少しなにかあると焦燥感で、何も手につかなくなる。さらに薬を出されたが、飲んだ途端に吐き気がひどく寝込んだ。薬は、辛いときにだけ飲むことにした。
そして、もやもやする気持ちをノートに書き出した。
書くことで、少しずつだが混乱は整理された。
そこから見えてきたこと
1つ目はやってあげなきゃという気持ちが強する傾向があるということ。
頼まれてないのに人のことを自分のことみたいに感じて対応してしまうのだ。それが当然だと思っていた。
夫婦のことで言えば、二人の間に会話と、お互いを大事に思う気持ち、違う考えをすり合わせる気持ちがあれば、問題はなかったのだろう。我家の場合は、違う考えを受け入れられない、摺合せができないことから、どんどん離れていったのだろう。むしろここまで続いたことのほうが奇跡だったのかも。とこの頃思
う。
離婚はお互い様だと思う。どちらかだけがということはないだろう。お互い、もうダメだと確信した時期や理由は違うだろう。私が相手に色々尽くしてきたのにと思うのは、相手にいい人と思われていたかったのだろうか。
私はいい年をして、どうせ自分なんてという気持ちが強い。諦めたり、逃げたり、それに立ち向かうことをせず、人にやってあげて自分の価値を見出そうとしていたようだ。
離婚して、大事なことに気がついた。なんとまあ、未熟なおばさんなんだろう。誰かが言っていた「人生で今日が一番若い日!」気がついてよかったじゃないか。今日からまた、前を向いて歩いて行こう、と思った雨の日だった。
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