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《ヴェーゼンドンク歌曲集》訳詩──1.天使

子供の頃 遠い昔のこと
天使について語るのを聞いた
高き天上の尊いよろこびを
地上の太陽と換えるという

不安な心が心配の中にあり
世界を前に人知れず苦しむとき
静かに心が血を流して
溢れる涙の中に息絶えてしまいたいとき

焦がれる心の祈りが
ひたすらに救済を希うとき
そこに天使が降りてきて
心を優しく天上に引き上げる

そう、私の心に天使が降りてきた
そして心を輝く羽根に載せた
天使は導く、すべての苦痛から
私の精神をいまや天上へと



6/23に演奏する、
ワーグナー作曲《ヴェーゼンドンク歌曲集》。

その訳詞を、
一日一篇ずつ掲載していきます。


さて、一風変わった歌曲集の名前。

「ヴェーゼンドンク」というのは、
人の名前です。名字です。

《トリスタンとイゾルデ》を書いていた頃の
ワーグナーに資金と住居などを援助していたのが、
オットー・ヴェーゼンドンクという男性でした。

では、そのヴェーゼンドンクさんが関係あるの?
と思うかもしれませんが、さにあらず。

この歌曲集での「ヴェーゼンドンク」は、
オットーの妻のマティルデを指します。

マティルデ・ヴェーゼンドンクが詩を書き、
作曲家ワーグナーが音楽をつけた歌曲集、
それがこの「ヴェーゼンドンク歌曲集」です。

なぜ、この二人が共作をしたのか。

それは、二人が密かな恋愛関係にあったからです。

マティルデにも夫がいました。

ワーグナーにも最初の妻がいました。

けれど、道ならぬ恋に踏み込み、
情事を重ねる二人。

その恋が芸術として結実したのが、
《ヴェーゼンドンク歌曲集》であり、
《トリスタンとイゾルデ》でした。

とはいえ、もともとは二人の恋人同士の
ひそかな愛の結晶として生まれた
《ヴェーゼンドンク歌曲集》。

こうして後世に残る作品になったのは、
後年ワーグナーが出版社に
作品を持ち込んだからです。

そのおかげで我々は
その芸術を享受できるわけですが、
恋文のようにこれらの詩を書いて、
人目をひそんでワーグナーに手渡したであろう
マティルデの気持ちを考えると、
なんだか複雑な心持ちになります。

でも、ワーグナーの手によって、
自分の言葉に彼の音楽がついたのは、
そしてずっと残る作品になったのは、
嬉しいことだったのかしら……。

私には想像もできませんが、
二人の恋のお焚き上げをするような気持ちで、
この歌曲集に取り組んでいきたいと願います。


第1曲「天使」では、
ワーグナーを天使、心の救世主と見なす、
マティルデの思いが書かれています。

この詩にワーグナーは、
清らかで穏やかな音楽をつけました。

けれど、
清らかで穏やかなだけで終わらないのが、
ワーグナーです。

ところどころに見え隠れするパッション、
底の知れない熱情を孕みつつ、
曲は進みます。

最後にはまた清らかに、穏やかに。

マティルデへの愛情に満ちた一曲です。


でも、この「清らかで穏やか」で終わらないのが、
ワーグナーのワーグナーたる所以……!

第2曲以降は、
段々と沼が広がります。

どうぞお楽しみに。





今回も、ジェシー・ノーマンの録音で。









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