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テレーゼのために 第二話

「おい、テレーゼ!」
 テレーゼが周囲を見渡すと、並べ置かれている騎士たちの鎧の後ろに隠れていたアベルが手招いてくる。アンネとの楽しいお茶会のあとで、珍しく、アベルに呼びかけられたことで、口一杯の砂を突っこまれたような気分にテレーゼはなってしまう。
「あら、アベルさま。もうお加減は宜しいのかしら? あなたの乳兄弟のドニが顔一面に冷や汗を掻きながら、アベルさまは具合が悪くて一緒にお茶が出来ない、と聞いたのだけれど。お渡ししたハンカチは返さなくて結構よ?」
「お前はいちいち、嫌味な女だな」
「毎回、お茶会をすっぽかされてご機嫌でいられる頭の抜けたご令嬢がいたら、お会いしてみたいものだわ」
「あぁ、悪かった、悪かった。これでいいか?」
 これ以上の嫌味は聞いてはいられないと、手を振るアベルに子供扱いのような対応をされ、テレーゼは扇子の下で膨れる。
 学園では皆が公平無私な誰もが憧れる理想の王子様そのもの振る舞いをしているが、一皮むけたらこの俺様振りだ。ようやく、自分と会話をする気になったかと思えば、テレーゼにこの男は心労を与えにきたのだろうか。頭の中で彼の右頬をグーで殴りつけることを想像して、心を落ち着かせる。
「具合の悪いアベルさまが、嫌味な私になんのご用かしら?」
「此処では話せないから、俺の部屋に来てくれ」
「嫌よ」
「そうか、じゃあ……って俺の誘いを断るのか?」
「当たり前でしょう? 誰かに見られて、婚前交渉だなんて不名誉な噂を立てられたら、どうするのよ! 貴方はいいかもしれないけれど、その噂をきっかけにおじさまがそのまま、結婚を急かすなんてことになったら」
 王はテレーゼとアベルの仲に気を病んでいると噂を聞いている。噂話が好きな誰かの目に留まれば、一足飛びで結婚を急かしてくるだろう。想像するだけでテレーゼは身震いがする。民には理想の仲のいい夫婦と振る舞い、実状は互いに冷め切った夫婦の出来上がりだ。
「俺だって、リズがいるのに、お前と噂になるのはごめんだ!」
 とうとう怒鳴り声を上げたアベルに、テレーゼは冷たい口調で応える。
「……だったら、さっさと婚約破棄をすればいいでしょう? サインはいつでも書くわ」
 アベルとはクリフとは違い、政略結婚であっても、互いを思いあう関係にはなれなかった。エリーゼのことも彼が彼女に惹かれたから別れてくれ、と言ってくれたら、いつでも別れたのだ。
 アベルはテレーゼが王妃の座に執心していると思っているようだったが、たったひとり。大切だった彼の傍にいられたら、それだけでテレーゼは幸せだっただろう。
「それも含め話すから、来てくれないか。お前に会いたいって待ってるやつもいるから」
「貴方とふたりきりでないのなら」
 ようやく、テレーゼを頷かせることができたアベルは彼の部屋へとふたりで向かう。こうして、彼とまともに話すのも何年ぶりだろうか。
 彼に対しては、エリーゼが婚約者であるアベルに対しての距離が近すぎる、貴方のお友達の方にも婚約者がいると苦言だけの時しか話していなかったが、最期は憎い相手を睨みつける穏やかな若草色をしているのに怒りに満ちた瞳しか覚えていない。アンネとは異母兄弟の為か、彼女は柔和な顔に比べ、彼は精悍な顔をしていた。
「リズ。連れてきたぞ」
 彼が部屋の扉を開けると同時に腰に大型の猪が突進してきた衝撃を体に受ける。
「……ぐっ」
「テレーゼさま! テレーゼさま! お久しぶりです! 貴方のエリーゼです!!」
「リズは俺のだろう?」
「ごめんなさい、アベル。私、テレーゼさま推しに変更したの」
「……そ、そんな」
 ショックを受けているアベルはほうっておいて、テレーゼはエリーゼから体を離す。
「えっと、エリーゼさまだったかしら?」
「リズですよ! テレーゼさま!」
「……貴女、今回は記憶があるの?」
「はい! 多分、テレーゼさまのサポート役に選ばれたからだと思います。テレーゼさまをハッピーエンドに導きますよ!」
「リズ。何度も言うけれど、此処にはアベルもいるのだから」
「大丈夫です。アベルさまもご存知というか、アベルさまのせいというか」
「どういうこと?」
「アベルさまが世界を巻き戻したのですって」
「は、はぁ!?」
 テレーゼはアベルの元にいくと、彼の胸ぐらを遠慮なしに掴みあげる。
「あなたのせいで、私は何度も痛い目に遭っていたというの?」
「ぐっ……は……」
「テ、テレーゼさま、アベルが話せなくなっちゃいますから」
 エリーゼに留められて、テレーゼは彼から手を離す。
「ごほっ、ごほっ。お前、本気で絞めようとしたな!?」
「私が遭ってきたのはこれ以上の痛いことなのよ? なんで、世界を巻き戻そうなんてしたのよ」
 そんなことが出来るなら、自分だってと唇を噛みしめるが、本当はそんな神の領域に手を出してはいけないことが分かっている。
「リズが亡くなったからだ。リズが亡くなったあと、母上が新しい女を婚約者候補として連れてきた。お前も身分が低い男爵令嬢なんて娶らなくてよかったと笑ってな」
 アベルはドニの方へ顎をやると、瓶の中に入った砕け散った赤い結晶の欠片を持ってくる。「王家の者だけが持てる邪神の瞳と言われている宝飾品だ。詳しい使い方は口外出来ないが、俺が何度も使う内にとうとう、壊れてしまった」
 建国時からあるなら、値段もつけられないくらいの価値が高いものに違いない。破壊して大丈夫なのかと思ったが、アベルが壊してしまったことには、後からなんらかの建前を立てるんだろ。
「どうして、リズを救えなかったの?」
 何度も巻き戻しているのなら、憎いテレーゼのことは置いておいても、エリーゼにかかる禍を避けようとアベルは努力をしただろう。嫌いな相手ではあるが彼の一途にエリーゼを想う心と生真面目な性格は好ましく思っていた。
「テレーゼさま。怒らないで聞いてくださいね?」
 エリーゼに前置きをされて、テレーゼは首を傾げる。
「アベル。巻き戻したのはいいんですけど、私同様、記憶はなかったみたいで。私を失う恐怖心だけはあって、テレーゼさまさえ排除すれば、私は無事だと思っていたみたいなんです」
「……相変わらず、思いこみの激しい男ね」
「お前がリズのことを悪くいうからだ」
 しかし、エリーゼがテレーゼさまは不器用だと微笑んだことで、本当にテレーゼはエリーゼを害そうとしているのかをだんだん、疑問に思ってきたらしい。それと同時にどうして、必要以上にテレーゼに対して、忌々しい嫌悪を抱くのかをアベルは考えた。
 自分の母は何故か、テレーゼのことをよくは思っていなかったが、アベルはテレーゼさえいなければ、と彼女を排除するまでの感情を抱かなかった筈だ。
 テレーゼが身罷れば決まってエリーゼを失う世界の法則に、アベルはテレーゼさえ生きていれば、エリーゼも生きているのではないかと思うようになったらしい。
「だから、あの毒入り紅茶を飲むなと忠告したのに、お前という奴は」
「! 貴方も今回は今までの記憶があるの?」
「ああ。リズとも話していたんだが、既に亡くなっているお前が彼女を刺すのは不可能だ」
〈金糸雀〉に選ばれた少女は愛しい相手が迎えにくるまで、聖堂にひとりで邪神の為の唄を奏でる。しかし、アベルが彼女を迎えにいったときは決まって、既に事切れているエリーゼの姿だった。
 騎士団を配置するなどの対処を行なっても、繰り返し繰り返し、愛しい少女の死を見なければならない。
 アベルは自分の上着を脱いでドニに手渡すと、シャツの腕を捲って、テレーゼに肌を見せる。元々、白かった彼の肌が真っ黒な痣に覆われていた。
「身体中がこの様だ。これが時を巻き戻した罪状なのだろう。多分、これが最後の機会だと思う」
「医師には?」
 彼を人形のように溺愛している王妃がみれば、卒倒するだろう。アベルは首を振る。
「せっかく、互いに今までの記憶があるんだ。癪ではあるが俺はお前と協力し、リズを俺の世界から失わせた真実の敵を排除しようと思う。互いの敵はきっと、同じだろう。テレーゼ。お前はどうする?」
「……仕方ないから、貴方と協力するわ」     
 渋々、テレーゼが告げると満足したように、アベルは頷く。
「お前にはこれを渡しておく」
 アベルはテレーゼの手の中に宝飾がついた鍵を落とす。
「……これは?」
「学園にある王族専用室の合い鍵だ。生徒会室を使いたいところだが、役員たちはお前をリズの敵だと思っているからな。お前と話したいときにはドニに声を掛けるから、その部屋に来てくれ」
「今度こそ、一緒に生き残りましょうね! テレーゼさま」
 エリーゼに抱きつかれて、はいはいと離すように彼女の背中をテレーゼは叩いた。


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