『野中モモの「ZINE」小さなわたしのメディアを作る』を読んだ

https://www.shobunsha.co.jp/?p=5677
(晶文社の紹介ページ)

 読みました! すごく面白かったです。膨大な情報量だった『日本のZINEについて知ってることすべて』とはまた違って、身近な所から世界に誘う、というアプローチ。野中さんとは世代も近いので、1章の個人史的な話も「あるある」が多々あって親近感があります。今は無き書泉ブックマート地下、忘れてたけど確かに昔はバックナンバー売り場だった……。漫画同人誌についても(p27)、

マンガのあいだに挟まれるフリートークやちょっとしたディティールからも趣味でつながる大学生のお姉さんたちの楽しそうな暮らしぶりが垣間見られて、あこがれていたんですよね。

 とかほんとにそう。だから「女性のサブカル好きは彼氏の影響」みたいな話、間違っているとか以前に見ているものの違いにびっくりしていた。(こちらはこちらで、コミティアで買った本のペーパーで『Papa told me』が大プッシュされてる→それを読んだ友人と大人買いしてクラスに持ち込む→別の友人はヤングユーを毎号買って教室に持ってくるようになる、というよく分からない男子校ではあった)


ZINEは楽しい。楽しいと感じたら、すぐに作れる。「読む人」はいつだって「作る人」だ。

 という見返しの冒頭の文もまさにそうだと思う。この本じたいがそういう「行き来」の第一歩のように作られているのだろう。
 ただ、例えば漫画を読んで真似して絵を描くとか、好きなバンドの真似してギターを始めるみたいな流れほど、ZINE/本を作ってみる、ってならない所もあるのかもしれない。同人誌に親しみのある人がよく「貴方の本を自費出版で」みたいな広告を揶揄するけど、そこに隔たりがあるのは、「本」がボールペンやコーラのような工業製品のように思われているからなのかも。(という話も以前、野中さんか他のだれかとしたような……)
 同人文化はその最たるものだと思うけど、「楽しい」から「作れる」への距離の近さ、「紙を二つ折りにしたらもう本になるじゃん」みたいな気軽さ(そういえば「真ん中半分だけ切って折ったら8ページ本になる」というのを見せたら驚かれたことが逆にショックだったことがあって、あれ知ってるのって世代なのかオタクだからなのかどっちなんですかね……)、タイトルに従うなら「小ささ」がむしろ、その人にとって大きな人生の発見につながりうる。


 このまま進むと書評とか読書感想にはならなそうなのですが、とりあえず触発された個人史語りということでいくつか……。

 大学のとき文芸サークルに入っていて、当時はリソグラフで印刷して平綴じで束ねて、製本だけ外注していたのですが、だいたい1,2年生のうちは文章を載せたり特集みたいなのを企画したりして、3年になるとなんかみんな自分のサークルを持ちはじめる(そのぶん会誌には熱心でなくなる)という現象が毎年あって(先輩は渋い顔していたけど)面白かった。手順を覚えてしまえばもう屋号持って「作る」までの行き来はすぐなので。
 『日本のZINEについて知ってることすべて』の中にも(自分の所も含めて)そういうサークルの本が複数掲載されていたりする。(もちろん、文学フリマとか当時のネット評論の盛り上がりとかが組み合わさってのことでもある)

 自分は学生だった当時は『米国音楽』に載るようなアーティストが好きだったのだけど、渋谷クアトロのライブとかに行くと、帰りに下りの階段でいろいろ渡してくれる人が並んでいて、他のライブのチラシだけじゃなくてやはり手作りのZINEを渡してくれる人も何人かいた。正月にそれを並べて眺めていたら、これって自分も作って配っていいのでは? って急に思いついたのが始まりで、ワード開いたり翌日世界堂に紙を買いに行ったりとバタバタした結果、1/10のライブではもう「渡す」側になっていたような……。あの時のZINEがオフセットで特殊表紙で広告まで入っていたら(実際そういうのもその後貰った)思い立たなかったんじゃないか、って考えると、「行き来」の距離感は大事。
 『米国音楽』とZINE/ミニコミの当時については、もちろんまずはこの本を……。

 こうやって書いていくと最終的には小学4年生の時、病院で同室だった年上の子が作っていたのに影響受けてゲームブックを作り始めた、という話に行きつくのだろう。ノートの紙を丁寧に何等分かして、1ページずつ番号を記載し手書きで文章を書いて、最後セロテープで各ページを貼り合わせて背表紙も付けていた。おかしいことにゲームブックの「攻略本」まで自ら編集していた……。あれもまさに「楽しい」「作れる」の原点。


p122、

ジンは引っ込み思案でシャイな人にはうってつけのメディアだ。

 なかなか自身では言いづらかったけど、こうやって言葉にしてもらえていると嬉しい。自分もたぶん、この「メディア」がいちばん合っていると思う。それは例えばうまく説明できない時、説明するために手を挙げるべきか逡巡するような時、説明しようにも聞いてもらえるか不安な時、説明したとしても取りこぼしや伝わりの妥協をあとから悔やんでしまう時、こちらにはとても重要に思える小さな違いや不正確さなのだけれど、それを会話として続けるのはさすがに相手に負担なんじゃないかと悩む時、ディベートや批判的指摘を必ずしもしたいわけではなく、そもそもこちらも正しいと自信をもって言えるのかもまだ分からず、あくまでひとつのスタンスを表したいこともある時、ひとときのやり取りではなく、もう少し長いスパンの検討として置いておきたい時、そういった一連の自分の不得手さめんどくささも最早めんどくさくなった時、などなどにZINEを作る、のが最適なこともたびたびあるからでもある。
 そんな感じでさいきん作ったのは↓とかです。いま適切な入手経路はないですが……。


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