恋愛が至上でなくなる時:『白雪とオオカミくんには騙されない♥』視聴レポ

(以下は現在放映中の『白雪とオオカミくんには騙されない♥』6話(2/24放送)および7話(3/3放送)の内容に大きく触れています)

 もともと人狼をモチーフに作られたと語られる『オオカミくんには騙されない♥』シリーズのシステムには、その他にもゲーム的な要素が多い。シーズン4から導入された「太陽LINE」「月LINE」もその一つで、両方とも、メンバーが他のメンバーをデート等に誘うことができる、いわばゲームの切り札だ。
 「太陽LINE」は、あるメンバーが別のメンバーを指定し、デートに誘う。ただし誰が誰を指定したか、およびその内容(日時や場所)はメンバー全員に伝えられるので、そのデートには他の誰でも参加できる。「月LINE」は同様にメンバーをデートに誘えるが、誰が「月LINE」を使ったかだけがメンバー全員に伝えられ、相手および内容は伝えられない。そのため、そのデートは必然的に二人だけになる。「太陽LINE」「月LINE」それぞれ一人につき1回しか使用できない。
 恋愛リアリティーショーが思いの成就およびカップルの成立を勝利条件とした、つまりは「恋愛至上」のゲームならば、このような切り札は自身を勝利に近づけるためのものとしてのみ使われるはずだ。そうわたしは思っていたのだけれど、『白雪と~』の直近のエピソードではその前提が大きく覆された。
 6話で「月LINE」を使用した男子は、物語の序盤では女子Aと仲良くなっていたのだけれど、中間告白では彼に思いを向けていた女子Bを呼び出す。その後彼が使った「月LINE」は、女子Aに届く。本人もコメンテーターも混乱する中、彼は夜の公園に呼び出した彼女に、自分の気持ちが今はもう女子Bに移っていること、今までの思いへの感謝と心変わりの謝罪だけを告げて別れる。――これがただ「恋愛至上」のゲームならば、このような行動が描写されること、別れとそのケアのためだけに最重要のカードが切られることは必要ない。
 7話では「オオカミくん投票」で男子の一人が脱落した後、メンバー全員が喪失の悲しみを拭えないまま作業場所にいる時、一人の男子が「太陽LINE」を使うというメッセージが全員に届く。驚きつつ誰が指名されたか続きの投稿を待つ中、彼は扉を開け意気消沈した部屋の全員に「みんなで遊びに行かない?」と言う。リーダー的な存在だった彼だから可能な(「誰でも参加できる」を逆手に取った)小さなルールブレイクは、わたしたちが恋愛リアリティーショーというゲームに抱く感覚を裏切って、共闘と連帯という道を示す。

 わたしがnoteに最初に載せた文章では、絶対に恋しない「オオカミくん」という存在が、リアリティーショーそれ自体とは別のリアリティレベルとして混入していると書いた。そしてリアリティレベルの混在が、同時に視聴者たちの「リアル」への侵食の危惧を生み、だからこそ「オオカミくん投票」で視聴者は自分たちの「ほんとう」を守るために連帯する。「オオカミくん」の「絶対に恋しない」属性は呪いのように物語およびその個人に取り憑き、いずれそれ自体が祓われるようなシステムに代わるのではないかという仮説だ。
 「絶対に恋しない」という呪い。けれどよくよく考えると、『オオカミくん』シリーズひいては恋リアには別の呪いが潜在する。『オオカミくん』シリーズに登場する「オオカミくん」だけが「絶対に恋しない」のではなく、「オオカミくん」を除く全員が「絶対に恋をしなくてはいけない」。一人だけが呪われているのではなく、その一人以外すべてが恋リアというシステム自体に呪われている。
 この構造は、ちょうど「偽りの楽園」的な物語に近い。楽園として疑わずに過ごしていた世界は、実は壁に囲われ閉ざされていて、その外にこそ自由な世界が広がっている。異分子がその楽園に侵入することで、初めてその「偽り」の構造が露呈し、脱出をめざすことになる。「オオカミくん」という異分子の恋リアへの混入は、そもそもその世界の住人すべてに呪いがあることを明白にした。そして前述のように「オオカミくん」はわたしたちの「リアル」のレイヤーへも侵入する。このレイヤーにも、「絶対に恋をしなくてはいけない」という呪いはまだ残存していないだろうか?
(これは確かに8割がた妄想なのかもしれないけれど、シーズン1および2を観た視聴者には残りの2割は通じるはずだ。れいぽよだけが真実……。)
 前稿(恋リアの勝利条件と「恋愛禁止」)でわたしは、『オオカミくん』シリーズを含むティーン向け恋リアのトレンドとして、このゲームの勝利条件が「思いの成就およびカップルの成立」から、「意思決定とその表出の達成」にシフトしてきていると書いた。たとえ恋が叶わなくても、そのシステムを共に生き抜き挑戦した者がみな賞賛され、互いに称えあう、それは火渡りや飛び込みのような風習に近いかもしれない。また前段のように、特に『オオカミくん』シリーズでは、ただ恋愛成就的な勝利条件に最適化されない行動が加わり、さらには個々の争いや疑いよりも、理不尽なシステムに対する共闘や連帯のほうがテーマとして浮かび上がりつつある。いつかそれが恋リア自体、さらにはその外の「世界」に抗する共闘につながるんじゃないか。「オオカミくん」という特異なシステムにこそ、その可能性は内包されていると信じている。

 6話での投票発表日、机に置かれた赤い封筒に入った新ルールについてのメッセージにメンバーがおびえる中、男子の一人がその封筒の重しに使われていた真っ赤な林檎(赤/林檎は『オオカミくん』シリーズのテーマカラー/アイコンでもある)を手に取っておもむろに齧り出した。何してんの、と笑うメンバーに向かって、お前らも食えよと林檎を手渡す。やがて全員が一口ずつ、まるで契りの儀式のように林檎を齧って、その場の緊張が和らぐ場面が映し出される。――これがただ「恋愛至上」のゲームの一場面だと、やはりわたしには思えない。その先にある新しいビジョンをどうしても期待してしまう描写がたびたび現れることが、『オオカミくん』シリーズの興味深さのひとつだと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?