恋リアの勝利条件と「恋愛禁止」

 これの続きです。

 恋愛リアリティーショー(恋リア)、特に数人ずつの男女が参加し最後に双方の告白によってペアが誕生するタイプの番組は、どうしても思いの成就やカップルの成立が参加者の「勝利条件」であるかのように見てしまう。けれど『オオカミくんには騙されない♥』全シーズンを観ていくうちに、わたしは少なくともティーン向けの恋リアにおいては、その前提は崩れているのではないかと思うようになった。おそらく新しい勝利条件は、「決心した思いを惑わずためらわずに伝えること」だ。その成否は問題ではなく、「伝えた」者がみな勝利者となる。
 この「意思形成と表出」は4つのプロセスからなる。「決心」は、例えば二人の間で揺れていた気持ちを一人に絞ること。「惑わず」は、他の人から好意を寄せられていたとしてもそれだけを理由に好意に応えないこと。「ためらわず」は、決心した相手からたとえ好意が向けられていなくても、あるいは自分以外の人間が相手に好意があることが分かっても、それを躊躇の理由としないこと。そして意志を紛れなく相手に「伝える」こと。『オオカミくん』の各エピソードでは、この4つそれぞれを参加者がどのようにクリアしたかがひじょうに丁寧かつ明瞭に描かれる。
 『オオカミくん』自体が、その特異なシステムによって参加者の感情の揺れ動きに負荷をかけているので、ある種連帯や共闘のようなものを生み出しているのも確かだ。ラストの告白パートが終わると、メンバーみんながさっきまで告白の場だった浜辺や雪山に集まって、ふざけ合ったり出来上がったばかりのカップルを祝福したりするシーンが、まるでノーサイドを宣言するように必ず入る(残念ながらそこに「オオカミくん」は混ざれないのだけれど)。そこにいる全員が、「勝利条件」のすべてのプロセスに挑戦しクリアした者だからこそ、等しく互いに尊重される。Twitterやインスタグラムの彼ら彼女らのアカウントを覗くと、コメントに並ぶのは同世代のファンからの敬意の眼差しばかりだ。「奪い合い」や「勝ち負け」という認識、敗者に向けられる優越じみた好奇の目線みたいなものは、もう古い感覚と言わざるを得ない。
(もしこれからを考えるなら、「意思」は誰かに好意があることとイコールでなくても本当はよい。一心や一途がどうしても尊ばれるのだけど(そもそもそれを迷わすための恋リアシステムだ)、それが絶対でなくてもよい。意思でかつ表出であれば、どんな選択でも勝利条件であってもよいのかもしれない)

(AbemaTVの恋愛リアリティーショーには、実は秋元康原案の『恋愛サバイバル オトシアイ』というのもある。各回ごとにメンバーの投票で「脱落者」を決めていく「恋愛サバイバルバトル」となっているけど、どうもあまり人気のように見えない……。それはこのシステムがちょうど旧式の「勝利条件」で、上記のような恋リアのトレンドを読めていないからなのではないかと思ってしまう)

 アイドルと「恋愛禁止」はもうすでに不可分の論点のように扱われている。けれど本当にアイドルが禁止されているのは「恋愛」なのだろうか? 週刊誌のスクープに上がり、過去の写真や目撃情報がネット上に流布し、ファンはそれを受け入れたり反発したりするとされる。「恋愛禁止のはずのアイドルが……」と揶揄され、「そもそも恋愛禁止とは……」と批判される。それはでも、前述に従うなら「成就」なり「ペアの形成」、つまりは「結果」の方だけだ。わたしがかつて「勝利条件」と思っていた側の基準。(そもそもそれはアイドルに限らない。誰かの噂話をしたり過去を探ったり、そういった行為はほとんどの場合「結果」にだけフォーカスしている)

「弾き語りトラックメイカーアイドル」を名乗る眉村ちあきさんは、自作の曲「スーパーウーマンになったんだからな!」についてのコラム(コロム?)で、恋愛経験を語るとともにこう書く。

恋しくなったり寂しくなったり愛おしくなったり、怒ったり笑ったり泣いたり。恋愛するとこんなに感情が豊かになるんだと思ったし、世の中にラブソングがいっぱいある理由がわかった気がした。というか、ラブソングを書いてる人はこういう気持ちを全部経験してると思うと、とっっっっても尊敬するしすごいなあと思う。
ファンのみんなのなかには、結婚してる人やバツイチもいるって思ったら、きっとみんないろんな感情を乗り越えて生きてきたんだろうなあと思って、尊敬の眼差しで見てしまう。 

 わたしは、この見方はすごく優しいと思う。眉村さんらしい優しさだ。恋人がいたかいないかだけを取り上げて論評するのでなく、そこにプロセスがあって、さまざまな決断や失敗があって、そのプロセスを生き抜いたという事実それ自体に敬意を持つこと。正誤とかあるべきといった言い方でなくて、ただ「尊敬」すること。敬意だから、別に羨望や嫉妬や失意と併存してたってかまわない。「好きなアイドルに恋人がいてショック……」って思いながら、でもその選択を尊敬していたっていい。
 そしてこの見方はもう分かる通り、『オオカミくん』ひいてはティーン向け恋リアの新しい「勝利条件」と密接に繋がっている。恋愛リアリティーショーの勝利条件が「結果」から次の視点へとシフトしていくように、わたしたちがアイドルと恋愛について語る方法も、もう古い感覚は捨てて、意思形成も表出もひとつも描かれていない写真だか動画だか「文春砲」だかなんて嗤ってしまっていい。その代わりに、だれがどんな経験をしたか、どんなことに悩み苦しみ喜んだか、に優しくしていきたい。『オオカミくん』のラストシーンみたいに、きちんとお互いに拍手してあげたい。

『オオカミくん』以外の恋愛リアリティーショーもいくつか見ていて、いろいろ面白い部分や疑問となる部分、「恋リア」を基準に新たに考えていった方がいいんじゃないかと思う部分も出てきたので、noteでしばらくメモ書きレベルでも載せていけたらなと思います。

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