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7年の母の介護記録①

自分の記憶をたどりながら、
記録のように(年表?)
書いていきたいなと思います。


2016年。母78歳。
まだ同居前。
自宅と実家を毎日往復する日々。
ハードでしたが、まだ母は、
普通に話せる状態でした、普通に。
でも、わがままがひどくなり始めた頃で。  
たぶんパーキンソン症候群の進行の影響で。

4月。
1番最初のデイサービスは
わずか1ヶ月で「楽しくない!」
と行かなくなりました。
ケアマネさんがなんとか空きを見つけて、
同町で自宅からも近い施設を 
紹介してもらったのですが‥

6月。
母との同居、開始。
在宅ヘルパーは週3で来てもらっていました。
一緒に生活してみると、
認知症が進んでいるなと。
お昼を準備しても食べ忘れたり、
薬も飲み忘れたり。
性格もキツくなってきて…

8月。
心窩部痛(みぞおちの痛み)で入院。

10月。
退院して、リハビリ病院が運営している
隣町のデイサービスに通えることとなり、
とても喜んで通っていました。

ここから1年は、風邪をひいたり
(夜中にいつの間にか床で寝ていて
体が冷えきっていたのを朝見つけ)、
血圧が高くなったり、便秘がちになりながらも、
入院することなく過ごせていました。

2017.9月。
1年ほど通ったデイサービスですが、
人間関係(おじいちゃんに気に入られ、
しつこく言い寄られ)で、
行きたくないと辞めてしまいました。

2017.10月。
新たにデイサービスに通えることに。
しかし、11月には、早くもデイに
行きたくないと言い出して。
休みがちになりながらも、
なんとか通っていました。
(こちらは、特養に入る前まで
通わせていただきました。)

2018.3月。80歳。
時間はかなりかかりますが、
杖で歩くことはできていました。

夜な夜な、よく家の中を、
ひきずる足音と杖の音を響かせて徘徊。
ある日、冷蔵庫を開けようとして、
そのまま、後ろの倒れ、
腰を圧迫骨折し、2ヶ月足らず入院。

病院でも、わがままが酷く、
看護師さんを困らせていたようです。
ベットからも何度か落ち、同意のもと、
安全のため仕方なく身体拘束。
見舞いに行くと「ベルトを取ってくれ」と
言われたのが、心苦しくて、つらかったです。

5月。
退院後、デイサービスを勝手に休んだり、
在宅リハビリを拒否したり。
朝になると、行く行かないの言い合いに
疲れて果てていました。

6月。
デイサービスで血圧が200あると連絡。
すぐにかかりつけ医に受診し、
MRIを撮りました。
古い脳梗塞の跡があり、
圧迫骨折する前あたりに
起きていたのかもしれないということでした。
わがままがひどくなったのは、
その脳梗塞が原因だったのかなと…
その日のうちにまた、入院。

7月。
退院後、リハビリを兼ねて、
老健に短期入所することになりました。

10月。
老健退所。

11月 81歳。
足のすねを裂傷。 
お風呂は、夕方7時前に、
毎日入っていました。
湯船に浸かることが、
とても嬉しそうで。
しかし、介助は大変で、
特に湯船に入って、上がる時は
かなりの重労働で、
湯冷めしないうちに体を拭き、
着替えをして。
こっちが息がきれてました(笑)
 
ある日、私が知らないうちに
勝手にお風呂に入っていて!
蓋の角で、足のスネに
傷を負ってしまいました。
見つけて、慌てて介助したのですが、
血が止まらず、病院へ。

傷が深く、縫うことになり
毎日の消毒が、必要ということで
一時的に入院となりました。
約2週間で退院。4日後、
骨の注射を打ちにまた病院に。
 
12月。 
9時過ぎにはいつもベッドに入り、
就寝するのですが、
夜10時に、脱衣所で裸になって座り込んで
寒さから動けなくなっているのを
見つけました。
「風呂沸いてなかった」と。
私は、驚きと腹立たしさで、
「もう入ったよ!」と。
でも「入ってない」の一点張りで。
これには、結構まいりました。
もし、1人で入り、
湯船で倒れていたらと思うと‥‥
ケアマネさんにメールで
愚痴ったのを思い出します。

この1年で入院3回、老健入所1回。私50歳。
いっきに老けたなー(涙)


写真は母が植えた芍薬です。赤紫、白、ピンク。毎年きれいに咲いてくれます。











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