ふしあわせな蝶々結び

大きめのアウトレットに足を運んで早一時間。平日の昼間だというのに人で溢れ返っているこの施設には、僥倖が詰まっているようで悍ましい。自らには不釣り合いだとわかっているから、足を運ぶことも少ないのだが、今日はどうしても買わなければならないものがあった。そしてそれは、こういう僥倖の詰め合わせ施設に沢山置いてある。
家族連れから、カップルから、制服を着た若い女の子から。皆が皆笑顔で悲しくなってしまう。ふらりとお店に入っては商品を見つめ、手に取り、置き。それを繰り返す。誰にも話しかけられたくなかったのでイヤホンをしているのに、お構いなしに話しかけてくる店員もいる。綺麗なお化粧とキラキラの笑顔。可愛いネイルにスラッとしたセールストーク。生きている世界が違うとはこういうことだろうな。
「なにかお探しですか~?」
「…プレゼント、を」
お姉さんの香水の匂いがあんまりいい匂いだったから。もうこのお店でいいや、と半ば投げやりに質問に答える。イヤホンを外して、鞄にしまい店内をお姉さんと一緒に歩き回る。こなれたニーズチェックに関心しながら、無難なものでいいです、という意思を前面に押し出していく。そもそもなんでこんなに悩んでいるんだろう、という話だ。今更大事だなんて言えない。大事にしてはいけない。私がどうこうする問題では、もうとっくにない。
「やっぱタオルとかが無難なんですかね」
「そうですね~!まだどっちかわからないならちょっと色が選びにくいですけど…」
「被らないように、と思うとあれですね…」
「いくらあっても困らないですよ~!あとは食器とかも人気ですね~」
これとか新しくて~とお姉さんが商品を紹介してくれる。生憎だが食器は却下だ。
食器には、思い出が残っているのだ。 きっと、彼のものはもう、割れてバラバラになって、掃除機に座れてしまって。ゴミとなってしまっただろうけれど。
「やっぱりタオルにします」
「かしこまりました。ありがとうございます! 熨斗紙はおかけいたしますか?」
「ああ、はい、お願いします」
出産御祝いで。と唇から零れていった言葉に肩が震える。どんな顔して渡しに行けばいいのか、未だにわからない。わからないから、こんなに長い時間をかけて買い物してしまったのだろうか。大事だからじゃないといいな、という願望にすぎない。

半年ほど前に付き合っていた男から連絡がきた。結婚報告だった。

授かり婚、なんて最近は呼ぶらしい。時代とともに言葉も変化していくんだな、と思った記憶は新しい。妊娠して3か月らしいので、私と別れて3か月後にはもう今のお嫁さんとどうこうなっていたということだ。いつかまた一緒になれたらいいねなんて、真っ赤な嘘だったということだ。期待をしていた私が悪いのか、冗談だと受け取れなかった私が悪いのか、考えたって、答えが出たって、もうどうにもならない。
とってもいいお嫁さんらしい。会いに来てよ、なんて言われてしまえば、私は、そうすることしかできないのだ。

好きだった。今だって、未だに、好きだ。

熨斗紙に名前は入れなかった。私と言う存在を彼の中で変えてほしくなかったからだ。2トンくらいのおもりがついたような足を引き摺って歩きなれてしまっている道を進む。駅から家までの風景に知らないところがひとつもない。道案内だって出来てしまえるほど彼の家までの距離は私に馴染んでいるのに、私は世界から浮いている。皮肉なものだ。
別れるときに理由はいらなかった。然るべくして別れたと相互理解していた。少しずつ開いていった心の距離は見て見ぬ振りができないほど鮮明で、だから私達の間に明確な言葉はなかった。大人と呼ばれる年齢になってから、5年ほど一緒にいた空間。少しずつ荷物をまとめていった。そう遠くない実家に帰る回数が増えた。買い物に一緒に行かなくなって、向き合って寝ることが少なくなっていった。どこでなにをしているかわからない日が幾度もあり、それに対して何も思わなくなっていった。私達は、緩やかに他人になることを選んでいた。それしかもう道はないのだと思い込んでいたし、実際そうだったのだろう。彼もきっとそう思っていた。最後の日、もう帰らないと言わずとも、別れようなんて言葉がなくとも、最後だと私も彼も察していた。いちばんすきだと言ってくれた料理をつくって、食べて、皿洗いを一緒にした。テーブルを片付けて、いつも食後に飲む紅茶を揃いのティーカップに淹れて、向き合って会話をした。
「彼女ができたらおしえてね」「そっちこそ、たまには電話くらいしてこいよ」「うん。愚痴なら私が聞いてあげる」「そりゃあ頼もしい。…いつかまた一緒になれたらいいね」「…そうね。自炊もちゃんとしなよ」「ん~~~。うん」「ゴミ溜めすぎないでよね」「おう。早起きがんばれよ、もう起こしてやれねえんだから」「はは。それはいい返事ができないな」「………なあ」「鍵、置いてくね。じゃあ」「ん。またね」
玄関先まで珍しく見送ってくれた。外に出て階段を降りてから、振り返れば手を振っているのが見えた。軽く手を振り返して、前を向いて、泣いた。もう一度振り返る勇気はなかったが、君も泣いていればいいと思った。

足が止まる。涙が落ちて、コンクリートがほんの小さく色を変える。お腹の中のこどもにも、彼にも、彼のお嫁さんにも、罪はない。袋の中の水引が、私をじっと見つめていた。


タイトル:喘息

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