BANANA FISH(アニメ)感想。....悲しさと美しさが同居する。
こんばんは。どこにでもいる漫画が好きな会社員です。
先日、吉田秋生(よしだ・あきみ)先生原作のアニメ『BANANA FISH』を完走したので感想を書く。
美しくて、悲しい話でした。
最期が切なすぎる件について
あんなの、主人公のアッシュ・リンクスの幸せを、誰もが願ってしまうよね~~~~。。。残酷だ。。
観ているさなかで、(英二かアッシュが死んでしまうんじゃないか)と気が気ではなくて、でも何とか最終話まで二人とも無事生き残って、安心していたんですよね。
会えない2人。ハラハラする中で、シンから日本行きの航空券を受け取って、走り出すアッシュを見て、、
「ああよかった!最後にアッシュ、英二に会いに行くんだ!」
と思って安心していたら,,,,,,
たとえ、英二に空港で会えなくて、すれ違っても、心が互いを向いたそのことこそがうれしくて、喜んでいたら.......
突然、シンの兄貴に刺されてしまうアッシュ。。。
うそでしょ・・・。。
え。。。?けがとかじゃなくて。。。?
え................?死..........
うそでしょ......
(2週間くらい立ち直れませんでした.....)
観終わって - 「BANANA FISHへようこそ」という言葉
うまく言えないけど、完走してこそ思うのが、「ああこれが、長く愛されるBANANA FISHという作品の結末なんだ、、」ということ...。
悲しいがゆえに、容赦がないがゆえに後を引く。忘れられない。
みんな、二人に、アッシュに、幸せになってほしいから.....
(今ならわかる、なぜBANANA FISHを見る前に人が「ようこそ」というのか.....。)
※作品の展開に心を打ちのめされることが分かっているとき、ひとは歓迎の意を込めて「(同じ苦しみを味わう仲前へ)ようこそ」といいます。
ブランカに公園のベンチで別れを告げるアッシュがさみしそうで切なくて。。
うう。。アッシュ・・(;;)
シンに、英二からの手紙を渡されて、
大切そうに、驚きながらそれを読むアッシュの表情がまた
切なくて、いじらしくて可愛くて溜まりませんでした。
パパ・ディノの深い愛
パパ・ディノのアッシュに対する深い愛憎も、筆舌しがたいものがありましたね。。最後、ディノがアッシュを守るシーン、そしてそのまま火の海に落ちていくときの表情。。グッときました。ディノ目はまっすぐにアッシュを射抜いていて、まさに愛する人を見つめるときの目でした。
ディノが最後に観た景色はアッシュそのもので、
最後に起こした行動もアッシュの命を救った。
ディノは憎いけれど、アッシュに対する想いは間違いなく「愛」だった。
誰かがアッシュの喉笛に手をかけそうなときも、「奴(敵)に殺させるくらいなら(自分が殺す)」という強い執着を見せてくれて、物語を通して終始一貫性があって、好きな登場人物でした。
なぜ二人の関係はここまで美しく眩しく映るのか
BANANA FISH出てくるふたりの主人公、アッシュ・リンクスと奥村英二、
二人の友人のような、家族のような愛情・友情は観る人の心をものすごく揺さぶる。
(それがBANANA FISHが人の心をここまで揺さぶる理由そのままだと思う)
それは、2人の気持ちに、押しつけや見返りがないからなんじゃないかなって思います。
アッシュも英二も、お互いに「(自分のために)こうしてほしい」みたいな願望を全然見せません。
幸せであってほしい、
笑っていてほしい、
生きていてほしい、
守りたい、
力になりたい
そういう感情の中に、利己的なものや、見返りを求めるような邪(よこしま)な感情が挟まらない。
2人は互いに、祈りのような、願いのような形でそれを行動にする。どちらかがどちらかのために行動をすることがあっても、それらはあくまで「自分がそうしたい」からで、そのあとの見返りや利益のためではない。
だから相手に説明すらしないこともある、
自分の犠牲は厭わないのに。
相手が幸せであるならば、それでいいんだということが伝わってくる。
そんな奇跡みたいな美しい願いに、人は心打たれるんじゃないかなと思いました。
ブランカがアッシュに、「あの子をお前の幸せのためにそばに置くのをやめろ」と言い、アッシュが苦悩するシーンがあると思うんですが、その時はまだアッシュが自分の感情に整理を付けていないタイミングだったかなと思うんですね。
物語が進むにつれて、アッシュは「英二と一緒に居たい」という感情に気がつくし、
「こんな俺を、何も理由がなくてもあいつは愛してくれた。あいつが存在することが救いになる(だから死なせたくない)」といったようなことを言います。
一見それらは、「自分を愛してくれた存在をこの世から消したくない」というアッシュのための理由のように見えるんですが、
生かすだけならいろんな手立てがあった筈かなと思います。
「壊したくない」「傷つけたくない」「そのままでいてほしい」というのはもう愛情に他ならないと思うから、
そんな2人の関係に、そしてそれが永遠には続かない儚いものとして描かれているところに、
どうしようもなく切なくなるのかなと思いました。
アッシュはなぜ刺されたのか
最期に刺されるシーンについて、
アッシュの危機察知能力だったら、きっと気配に気いけて対処も出来ていたんだろうけど、(「隙がない」と敵に言わしめるアッシュ)
あのときは、ギャングのボスのアッシュではなく、
ただの17歳の青年、アッシュだったんだろうな、と思っています。
大切な友人へ、救ってくれた人にただ会いたいアッシュだったから、もう山猫じゃなくなってたんだね...。
...............そんなのさ.....つらくて、、、、無理なんだが.。。.......。泣いちゃう、泣いちゃうよ,,,,,,,
友人の記憶
吉田先生の存在は、海街diaryで知っていて、
BANANA FISHも、20歳のころ趣味が合う友人(萩尾望都が好きでよく話していた、ジェンダーレスな男の子)に勧められていたのに、
なんとなく読まずに10年も経ってしまっていました。
おすすめしてくれた彼、そういえばバナナのTシャツをよく着ていたな。
「それ何のTシャツ?」って何度も聞いた気がする。
かつての友人に、読んだよと伝えたいけど、連絡先も知らない。
読んだよ~。BANANA FISH。最高だったよ。
もっと早く読めばよかったな。
感想は以上です。
もし観ていない人がいたらぜひ。
BANANA FISHへようこそ。
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