見出し画像

京都みなみ会館の閉館

 去年閉店してしまった近所の洋食屋が、建物ごと取り壊されているのを見た。

 私は変化が嫌い。街も人も、変わらないでいられるなら、変わらないでいて欲しい。邪魔に思うものでも、いざ無くなると寂しい。ずっとそこにあったものが、生活の中から消えてしまうと、私はそれを徐々に忘れていってしまう。ただでさえ忘れっぽい私なので、邪魔で仕方なかったあの歩道橋が無くなったことも、来年には忘れてしまうのかも。

 「京都みなみ会館」
 大好きな場所だった。私の住むところに最寄りの近鉄駅が無いから、私はそこまで約30分かけて自転車で通った。
 私は映画が好き。好きになったのは最近。ここ最近で映画を何本も観るようになった私でさえ、みなみ会館が無くなることに寂しさを感じているのだから、きっともっと昔から通っていた人にとっては言い知れぬ寂しさなのだろうなと胸が痛くなる。
 無くならないで欲しい、なんてことを思いすらしなかった。無くなるなんて思ってもいなかったから、当たり前にこれからもそこにあるものだと思っていたから。
 悲しいのは、みなみ会館が無くなってしまうのを、もう誰も止められないこと。無くなってしまう理由はどうやら経営難らしい。私が定期的に通っていようが、誰かが毎週通っていようが、商売というものには限界がある。私は京都みなみ会館を支えていく1人にはなれなかった。それが、悲しい。
 初めてあのミニシアターで映画を観た時も、人は疎らだった。だけどそれが心地良かった。これはあくまで私の主観。
 とにかく、思い出の詰まった場所だった。いつだって1人でしか通ったことはないけれど。恋人や友達を連れて行ったことは1度もなかった。それで良かったのかも。私1人が、1人で映画を楽しむための場所で、良かった。みなみ会館があるうちに、あの場所で何本も映画を観れたことを、素直に喜ぼうと思う。
 欲を言えば、無くならないでほしいけれど。

「京都みなみ会館」ありがとうございました。閉館のその時が来るまでは、私もまだ通おうと思っています。大好きな場所です。無くならないで欲しい場所。私の記憶にだけ残しておくにはもったいない場所。あったかい場所だった。

 忘れっぽい私は、この場所のことや観た映画のこと、全部忘れないように、こうしてnoteに書き残してみる。どうか忘れませんように。

 消えないで。好きなもの、場所、人、風景、形、匂い、全部が全部そのままでいてくれたら、そしたら明日も怖くなくなるのにね。明日が怖いと感じるのは、今日より明日が大きく変わってしまうかもしれないからで、ずっと同じなら私は安心して生きていられるのに。
 誰もいなくならない、無くならない世界で、今日と同じものを明日も愛してたい。無理な話だけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?